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なぜかドローンに心惹かれない理由が、わかった気がする

ドローン好きのみなさま、どうかタイトルを見て気を悪くしないでほしい。これは私個人の好みのお話であって、「パクチーを美味しいと思うか否か」くらい一方的で身勝手なひとりごとです。

というか、私自身もドローンに興味はある。ガジェット好きなので、操作してみたいなぁという願望はあるし、夢のある機械だとも思ってる。

だけどなぜか、「ほしい!!」とまでは思わない。

なんでだろう。自分でも不思議だった。

先日さどまちに写真を撮ってもらったときに、その答えを、なんとなく見つけた気がする。

その日は、生まれて初めて「モデル」として撮影に参加させてもらった。いつも撮る側だから、撮られることなんて初めてで。1週間くらい前からそわそわしはじめ、3万年ぶりくらいにエステで顎のラインをごまかし、パックやらトリートメントやら、半年ぶりに恋人に会いに行くような気合いの入れっぷりで撮影にのぞんだ。

ふだんは自分もポートレートを撮ってるくせに、いざ撮られるとなると「撮影中ってどんな話したらいいんだろう」とか「ポーズってどうやって取るんだ?」とか、頭の中は不安と謎だらけだった。

でもその緊張は、すぐに吹き飛んだ。だってさどまちは、楽しくおしゃべりしながらいつの間にか、バッチバチにいい写真を撮っててくれてたんだもの。

彼女との撮影は、なんだかセラピーを受けているような心地よさがあった。楽しみながら、でも真剣に、私のほうを向いてくれる。思い返せば、「笑って」なんて一度も言われなかった。楽しかったから、勝手にわたしが笑い転げていただけだ。

出来上がった写真を見たときは、うれしいを通り越して、自己肯定感が爆上がりするのを感じた。コンプレックスをもってるパーツも、「まぁこれも含めて私だよね」とすんなり受け入れられた。

それは言うまでもなく彼女の腕もあるんだけど(さどまちがカメラを始めてまだ数か月だなんて驚愕するよね)、彼女自身があったかい目で私を見てくれていたことがしみじみ伝わってきたからでもある。


写真に言葉は映らない。写真に気持ちを書くことはできない。その一方で、撮る人の視線が、想いが、相手との関係性が、率直に映し出されるものでもあると思う。

タイトルに話を戻そう。

私が愛しさや切なさや痛みをきちんと感じられる距離感は、きっと半径5メートル以内くらいの出来事なのだ。

だから、ドローンが高く高く舞い上がっていってしまうと、私の気持ちが追いつかなくなってしまう。そういえば、高所からの絶景(スカイツリーとか)にも、そこまで気持ちがそそられない。きっと理由は同じだ。

神の視点でうつくしい景色を空から撮るのもいいけれど、不器用に生きてる一人ひとりの小さな物語を追っていくような写真を、どうしたって愛してしまうんだ。

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