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これから、写真でやりたいこと

昨日の写真道場の名残がまだ抜けておらず、余韻に浸ったままぽわぽわと一日を過ごした。近所のタピオカミルクティーを飲みながらひたすらにnever young beachを聴いていた。

こんな週末に限って同居人も不在で(友人の結婚式で地元に帰っていた)、ひとりで家にいるといろんなことが頭をかけめぐって、かけめぐりすぎて、なんどもnoteを書こうとしたけどうまくまとめきれず夜になってしまった。

「道重さゆみを撮る」という具体的な目標を持っているさどまちとは対照的に、私にはハッキリした目標がなくて、それはずっと気がかりだった。ぼんやりと思い描いているイメージはあるものの、「この人を撮りたい」とか「あの人と仕事したい」というところまで落とし込めず、そのたび、自分の足が地についてないような気がして不安になった。

相変わらず漠然としてはいるものの、3ヶ月のワークショップを終えて、今やりたいことは少しずつ見えてきた。


ひとつめ。被写体を全肯定する写真を撮りたい。「自分ってこんな表情をしてたんだ」「こんなに笑うんだ」「私の顔、案外かわいいじゃん」そう思ってもらえるような時間と写真をつくりたい。私の中の思い入れをたっぷり添えて、「私はあなたをうつくしいと思っているよ」って伝えたい。それって絶対、自撮りやAIにはできないことだから。出来上がった写真だけじゃなくて、撮ってる最中も含めて、被写体となる人に「自分が自分の人生の主役だ」って思ってもらえるような時間をつくりたい。

これは余談だけど、じつを言うと、「プロのタレントを撮りたい」とか、「有名なモデルさんを撮りたい」みたいな願望が自分の中にあまりない。おそらく「撮られることを仕事にしている人」にそこまで興味がないのだと思う。それよりは、なんらかの縁で私と出会ってしまった「ふつうの人」を撮るほうに撮りがいを感じる。


ふたつめ。写真をつうじて、もっといろんなことを「話す」きっかけを作っていきたい。生きるって、なんだろう。私って、なんだろう。うつくしいって、なんだろう。いきなり話すとぎょっとされるようなテーマでも、写真というツールを使えば楽しく話せる。小学生に戻ったような気持ちになって、もっとみんなで一緒に考えたり話したりできるきっかけを作っていきたい。


みっつめ。誰もが見ている日常を、ちょっと違う視点から提供できるような写真を撮りたい。うまく言えないけど、写真で「世にも奇妙な物語」の読後感(正確には視聴後感?)のようなものを作りたい。「世にも〜」って、見たあとなんだかちょっと不思議な気持ちになるじゃないですか。自分の日常も、見方を変えるとちょっと素敵に見えたり、不気味に思えたりする。ああいう感覚を、写真を通して見つけていきたい。

下の写真は、心さんのワークショップのあとに撮ったもの。「この世に意味のない直線はないんだよ。自然に直線というものは存在しないのだから、すべての直線は人の手によってつくられている」という話に感化されて、そういう気持ちで職場のまわりを歩いてみたら、すごく美しく見えた。


あとは、「ぽんずブルー」じゃない写真もがんがん撮っていきます。今のぺーぺーの状態で表現方法を固めてしまうのはもったいないことだと思うし、引き出しの数が多いに越したことはないから。なるべく「自分らしさ」のようなものを排除していって、それでもどうしたって最後に滲み出てしまうものこそが「個性」だと思っている。だから、まだまだ本当の意味での「自分らしい写真」は見つかってないのだと思う。もっと大胆に、ときに不真面目に、思い切ってカメラを構えていこう。

あ、そういえば、具体的な夢も一つ思い出しました。大好きな旅と写真とカルチャーの雑誌、TRANSITにも載りたい。

そんなわけで、これからがスタートだと思っているので、よかったら見ててやってください。


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