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毎日noteの意外な効能

先日、毎日noteを更新しているという話を書いたところ、思いのほか反響をいただけました。

せっかくなので、毎日更新するようになって良かったと思うことを紹介します。

①ネタ探しが楽しくなる

正直なところ、最所の1ヶ月はネタ探しに苦労しました。旅のことを書きたいという気持ちはあるものの、基本的には家と会社を往復するだけの日々。必然的に過去の日記からネタを引っ張ってくるしかなく、自分のEvernoteを漁ってみるものの良いネタが見つからない。

だけど2ヶ月を超えたあたりから、だんだんネタ探しが苦じゃなくなってきました。前から思ってたけど人には話せなかったことや、その日起きたちょっと嬉しかったこと、悲しかったことなど、見渡せば書きたいことはいろいろあることに気づいたのです。

それからというもの、日常のふとした瞬間に思いついたネタメモをEvernoteに蓄えるようになりました。

「そう言えば、数年前のこの季節は失恋で落ち込んでたなぁ」「これ、ずっと思ってたけど、みんなはどうなんだろう」「映画観たぞ!おもしろかったぞ!」

などなど。

最近では、仕事中に憤慨すること悲しいことがあっても「いつかnoteの絶対ネタに昇華させてやるかんな!」と心の中で誓うことで気持ちを鎮めるという裏ワザ(?)も身につけました。短気な私にとっては、思わぬ収穫。

余談ですが、就活がつらすぎて生きてるのが嫌になったときも「この体験を文章にして、こんなイカれた就活システムに一石を投じてやる」などと、藁人形か何か作り出しそうな勢いで念じながら過ごしていました。そのときは結局なにも書かずに就活を終えたけど、いつかあの日々のことはnoteに書こうと思っています。


②人の文章を読むのが楽しくなる

ワールドカップのときも盛んに耳にしたこと。「観戦するのと実際にプレイするのでは、見える世界が全然ちがう」。毎日まとまった文章を書くようになって、小さい規模ながらそれを痛いほど感じています。

バズってるブログを読んだとき、心の中でそっと「なんだ、意外とふつうやん…」って思ったことありません?私はあります。このぐらいなら私も書ける、と。

ところがどっこーい!書けないんですよね。自分でやろうとすると。たとえ同じネタをパクらせてもらったとしても、やっぱり書けないと思う。

一読しただけですっと内容が理解できる文章を書くのって、実は難しいから。カンタンそうに見える文章ほど、実は細かい部分まで気を配って書かれていたりするんですよね。

そういう視点で読んでいると、うまい書き手の文章を読むのが二倍も三倍も楽しくなります。しおたんさんの文章なんて、「声に出して読みたい日本語」レベルで尊敬するようになりましたもの。

自分なりに「上手さ」や「読みやすさ」の秘訣を考えながら読んで、そのメソッドを少しでも盗めるよう意識しながらその日のnoteを書く。ただ漫然と自分のために日記を書いていたときより、書くこと自体も楽しくなりました。


③褒めてもらえる

最後、シメの理由がどうしようもなく安直ですみません。だけどこれは本当。しかも大事。

たまーーーに書く、くらいの頻度だと、人に見せるのもちょっと恥ずかしくなってしまうんですよね、私の場合。わざわざ友達に送りつけて「読んで!」というほどの力作でもないし、かと言って誰にも読まれないのも辛い。

そんな私でも、毎日書いてれば、人に見せるハードルはぐっと下がりました。「今日はこんなの書きました」なら、報告しやすい。そうすると次第にじわじわと、褒めてくれる人が増えてきました。

やっぱり「書く」行為って、キャッチボールで玉を投げてるのとおんなじですから。書いてるときは一人ぼっちでも、誰かにボールを受け止めてもらえたり、投げ返してもらえたりするから嬉しいんですよね。

私の好きな内田樹さんの本の中に、こんな一説があります。

人間が仕事に求めているものは、突き詰めて言えば「コミュニケーション」です。ただ、それだけです。

やったことにポジティブなりアクションがあると、どんな労働も愉しくなります。

          ー内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川文庫

自分が思ったことを言葉にしたら、誰かが見てくれる。ときに反応してくれる。シンプルなことだけど、それが毎日つづくと、思いのほかメンタルの安定にも繋がってきました。自分のことも、少し信じられるようになりました。

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いかがですか、毎日note。更新仲間も、絶賛募集中です。

サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。