"透明感" に恋をした日
小学3年生くらいのころ、夏休みのスケッチ教室に参加した。
近所の公園で、ゆるく楽しく絵を描くイベント。
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絵を描き終わったころ、誰かが講師の先生に向かって質問した。もしかすると私自身が訊いたのかもしれないけれど、ちょっと記憶が定かじゃない。
「空のうすい水色って、どうしたらいいの?」
「うーん、水をたっぷり含ませることかな」というアドバイスのあと、先生はこう続けた。
「みなさんが使ってるのは不透明水彩と呼ばれる絵の具なの」
そう、当時私たちが使っていたのは、小学校に入学すると同時に用意した絵の具セットだった。不透明水彩と呼ばれるタイプのもので、塗りムラが出にくく、下の色の影響を受けにくいので子どもにも使いやすい。
「じつはね」と先生は続ける。
「透明水彩という種類の絵の具もあるのよ。透明水彩っていうのは、水で描くような絵の具なの。名前のとおり下の色が透けて見えるから、重ねたすべての色があわさって、とても美しい色になるわ」
そのぶん、使うのは難しいけれど、と彼女は締めくくった。
「とうめいな、えのぐ・・・?」
その響きに恋をした。
まだ使ったこともないその絵の具が、私の心にすみついた瞬間だった。
今になって思えば、そのときの講師の先生の回答は一般的な「模範解答」ではなかっただろう。子どもたちが持ってもいない画材の話をするなんて、ある意味では酷かもしれない。
だけどその日から私は、「とうめいなえのぐ」にうっとりと憧れる日々を過ごすことになった。
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そして運命の出会いは、思いがけず早くやってきた。
定価5000円のホルベインの絵の具が、家族で出かけた先のフリーマーケットで500円で売られていたのだ。
当時のお小づかいは300円。定価の5000円は、当時の私にとって “年収” 2年文分弱。とうてい無理な金額だった。だけど500円なら。 “月給” 1.5ヶ月。がんばればいける。
そうして、私と透明水彩の蜜月がはじまった。その日から高校生になって絵を描けなくなるまで、ずっと透明水彩は私の味方であり武器であり宝物であり相棒だった。
箱が擦り切れ、チューブが千切れ、中身が固まり、もうほとんど出番がないにも関わらず、あのときのホルベインは5回の引越しを経てもなお、私の部屋にいる。
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絵から離れて写真を撮るようになった今も、いまだに透き通るような色ばかり追い求めてしまう。
それはきっと、幼いときの恋心がまだ残っているからなんじゃないかと思っている。
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