遺体無き死と、首なしのボディガード  -ハリー・ポッターで京大卒論を書く-

以前、ぽつぽつと章ごとに卒論をアップしていたのですが、もう一気に載せちゃうことにしました。理由は単純で、ファンタビの公開が近づいててテンションが上がってるからです。今読むと「なんと強引な!」と思う部分も多々ありますが、いちおうは京都大学の卒業論文として受理された文章です。文体は堅いですが、いち読み物として楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。

(19/01/23追記)
本論中の「ホモソーシャル」の単語の捉え方は、現在一般的にSNS上で使われている言葉とニュアンスがだいぶ異なっていると考えています。フェミニズム的な観点からの論文ではないこと、ご承知おきいただけますとありがたいです!性差についての記述も、今の自分が読むと正直「うーん?」と思う部分があるのですが、当時のまま載せています。

また、noteという媒体に載せるにあたって、読みやすくするために本文レイアウトを多少調整しています。提出時とは改行や注釈の入れ方が異なります。

あと!「下線部」と書いてる部分がコピペの際に消えてしまってるので、絶賛追記中でございます・・・!読みにくくて、ほんとにすみません!!


ちなみに途中に出てくるハリポタの序章についてはこちらに和訳がありますので併せてぜひ。


目次


1.1 作品概要
1.2 作者紹介
1.3 映画について
1.4 あらすじ
2. 本論の動機と目的
2.1 ハリー・ポッターとその両親を軸にした三つの物語
2.2 シリウスの不可解な死
3. シリウスは誰の恋人か
3.1 シリウスとジェームズの関係
3.2 シリウスとジェームズの女性嫌悪
3.3 シリウスとジェームズの「男同士の絆」
3.4 ハリーとジェームズを混同するシリウス
3.5 シリウスとジェームズの「序章」
4. シリウスは誰の親か
4.1 代理親の必要性
4.2 代理親の椅子取りゲーム
4.2.1 ダーズリー夫妻
4.2.2 モリー・ウィーズリー
4.3 「父親」としてのダンブルドアと「母親」としてのシリウス
4.4 『大いなる遺産』との類似
4.4.1 シリウスとマグウィッチ
4.4.2 シリウスとジョー
4.5 「代理母」としてのゼノフィリウス
5. 母リリーを象徴する行為
6. 首なしの魔法使い像とその正体


今や誰もが知る『ハリー・ポッター』(Harry Potter) のあらすじは、一言で表せる。

主人公の少年ハリー・ポッター(Harry Potter)が宿敵のヴォルデモート(Voldemort)と闘う物語である。読み手は、第一巻第一章を読み終えた時点ですでに、最終巻最終章の結末を心の何処かで知っている。

勇敢な青年に成長したハリーが、自らの欲にまみれたヴォルデモートを倒し平和を勝ち取ることを知っている。典型的な英雄譚の流れを汲む勧善懲悪のプロットである。

爆発的にヒットした原作に負けず、映画も世界各国で一大ブームを引き起こした。大阪府にあるテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に作られた「ウィザーディングワールド・オブ・ハリーポッター」の話題も記憶に新しい。映画版『ハリー・ポッター』の世界を再現した街並みやアトラクションには、連日多くの数の人々が足を運んでいる。活字離れが進んでいると言われる現代社会において、世界中でここまで愛される小説というのは他に類を見ない。

小説にとって、このような状況は恐らく幸福な事態なのだろう。しかし、その背後に置き去りにされてしまった要素があることもまた事実である。「ハリー・ポッター」と言えば誰もが俳優ダニエル・ラドクリフを思い浮かべる現状は、小説を「読む」楽しみを奪ってしまったとも言える。映画はあくまでその作品に対するひとつの解釈である。映画化された解釈が唯一無二の「正解」にはなり得ない。圧倒的なポピュラリティを得たがゆえに「文学的」評価が置き去りにされてきたことは否定できない。


『ハリー・ポッター』について論じるとき、人々の目や議論の的は「魔法」という要素に向きがちである。勿論、ローリングが細部まで徹底して作り上げた「魔法界」が読者の心を捉えて離さぬ大きな魅力であることは間違いない。世界中のファンが九と四分の三番線を求めてキングズ・クロス駅の壁に激突し、バタービールを再現しようと深夜のキッチンで奮闘する。しかし、本稿で光を当てたいのは、『ハリー・ポッター』の中に描かれた生身の人間同士の関係である。本論文ではテクストという原点に立ち返り、『ハリー・ポッター』の読解を行うことによって、新たな解釈を提示したい。


1.1 作品概要
本論に入る前に、『ハリー・ポッター』の特徴を紹介したい。まず一つ目に、全七巻の構成が最初から決まっていたということが挙げられる。シリーズものの児童文学は、第一巻『賢者の石』が発売されたのちに好評ゆえに続きが作られることが少なくない。しかし『ハリー・ポッター』シリーズ作者のJ.K.ローリング(Joanne Kathleen Rowling)は第一巻を書き始めたときから最終章までのあらかたの構想を考えていたと語っている。(早い段階から、最終巻の最終章を書き終えており金庫に保管していたという。)最終巻までの大まかな構想が練られたうえで各巻が執筆されたため、ある一巻だけを取り出したときには物語の構造としての不自然さを感じさせる箇所も存在する。ただしそのような不完全な描写の多くは、全巻を視野にいれると辻褄があうように書かれている。


二つ目に、ストーリーが進むにつれて、登場人物の年齢も上がる点が挙げられる。それに伴い、巻を追うごとに対象年齢も上がってゆく。物語の一巻分が、物語の中の時間にして一年分に相当する。第一巻でハリーは十一歳の少年だが、最終巻では十七歳の大人として描かれる。巻が進むに連れ、一巻分の分量も多くなりストーリーならびに扱うテーマも複雑化する。第一巻は正統派児童向けファンタジーといった趣だが、その後の展開はどんどん重く切実なものとなっていく。


主人公の成長を描いた物語であることから、トマス・ハーディ(Thomas Hardy)の『日蔭者ジュード』(Jude the Obscure)や、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の『デヴィッド・コパーフィールド』(David Copperfield)などの教養小説の系譜を継いでいるとも言える。

『ハリー・ポッター』シリーズに関しては多数の批評が存在する。しかしその多くは、キリスト教の教義に照らした場合のシリーズの内容の是非や、フェミニズムの観点から論じたもの、早期英語教育の教材としての是非などが多く、テクストそのものについて、小説の内容について論じたものはそう多くない。本稿においてもフェミニズム的観点からの『ハリー・ポッター』批評について触れるが、フェミニズムの立場から作品について論じることはしない。


1.2 作者紹介
 作者のローリングについても触れておかねばならない。『ハリー・ポッターと賢者の石』を書くあいだ、彼女が乳飲み子を抱えたシングルマザーであったというエピソードは有名である。『ハリー・ポッター』シリーズは彼女の処女作である。幼い頃から創作活動が好きだったローリングは、趣味として多くの小説を書いてきた。しかし正式に出版された小説は『ハリー・ポッター』シリーズが最初である。ローリングの稀有な特徴のひとつに、自分の筆者生活を小説に反映させないということが挙げられる。作品から作者の素顔を垣間見ることが困難なのである。インタビューや伝記などで繰り返し語る母の死などの重要なエピソードについても、直接的に物語中で描かれることはない。

1.3 映画について
『ハリー・ポッター』シリーズについて語る際、映画を無視して通ることは出来ないだろう。冒頭でも述べたとおり映画も世界的ヒットを納め、原作の認知度向上にも寄与した。全七巻すべてが映画化されているが、最終巻の第七巻だけは前半と後半の二本に分割された。巻によって監督や作曲家など主要製作陣が異なるのが大きな特徴である。第一巻、第二巻はストーリーや衣装、人物造形などが比較的原作に忠実に作られており、王道のファンタジームービーといえる。第三巻以降はストーリーも長く複雑になるため、原作から離れた映画独自の解釈やアレンジが散見される。ストーリーだけでなく、衣装やカメラワークも前二作とは大きく異なる。

また、本論の内容に関わる事項として、原作と映画の違いの中で特に留意しておきたい点がある。それは、登場人物が死ぬ際の描写、特に遺体の描写である。原作では、人が死ねば死体は残るし、仲間の遺体を自らの手で埋葬したり葬儀を行ったりする場面も描かれている。映画版では、呪文をかけられて死んだ人間は、体が紙吹雪のように粉々になって消えていくことがある。これは映画版のみの演出であり原作とは異なる。遺体に関する描写と同様に、生死に関するルールは明確である。「ファンタジー」であるとはいえ、われわれの住む現実世界と同じく、生きとし生けるものには寿命があるし、一度死んでしまったものは二度と生き返らない。このことに関しては、インタビューにおいてはっきりと語っている。C.S.ルイス(Clive Staples Lewis)の小説『ライオンと魔女』(The Lion, the Witch and the Wardrobe)に登場するアスラン(Aslan)やトールキン(John Ronald Reuel Tolkien)による長編小説『指輪物語』(The Lord of the Rings)に出てくるガンダルフ(Gandalf)のように、復活を遂げることはないのである。


1.4 あらすじ

『ハリー・ポッター』のあらすじは以下のようなものである。幼いころに両親を亡くした少年ハリー・ポッターは、母の姉であるペチュニア・ダーズリー(Petunia Dursley)とその夫バーノン(Vernon)のもとに引き取られ育てられた。ひどい扱いを受けて育ったハリーはごく普通の少年だったが、十一歳の誕生日に「自分は魔法使いである」という驚くべき事実を知らされる。実はハリーはただの魔法使いではなく、史上最悪の闇の魔法使い、ヴォルデモートを打ち負かした存在であったのだ。ハリーの両親もヴォルデモートに殺されたのだが、なぜか赤ん坊だったハリーだけは生き延び、ハリーを攻撃したヴォルデモートは力を失った。ハリーは魔法魔術学校ホグワーツに入学する。ハリーと宿敵ヴォルデモートとの闘いやホグワーツでの学校生活を中心に話は構成されている。



2. 本論の動機と目的

2.1 ハリー・ポッターとその両親を軸にした三つの物語

“ ‘Yeh look a lot like yer dad, but yeh’ve got yer mum’s eyes.’ ” (sic) (Philosopher’s Stone 39; ch.4) 真っ黒でくしゃくしゃな髪の毛に、トレードマークの丸いメガネ。ハリーの外見は、彼の父親であるジェームズ(James)にそっくりである。しかし、目だけは母親であるリリー(Lily)の緑色の目を受け継いでいる。ハリーが両親の身体的特徴をよく受け継いでいるという描写は、シリーズを通して幾度も出てくる表現である。ハリーが初めて誰かと出会ったとき、必ずといって良いほど言われる言葉である。


「君はお父さんにそっくりだね。でも目だけはお母さんの目だ」。執拗なまでに繰り返されるこの言葉は、重大な鍵を握っていた。冒頭の台詞は、ホグワーツの森番であるハグリッド(Hagrid)のものである。ハグリッドは、ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証をハリーの元へ届けに来る。十年ぶりにハリーを見たハグリッドは、まずこの言葉を口にする。ハリーは叔父叔母夫妻の元で育てられたが、彼らは「普通」であること、「まとも」であることを一番の美徳とする人間である。魔法使いを嫌っていることは言うまでもない。このような叔父叔母のもとにいたハリーは、自分が魔法使いであることを知らされていなかった。そのようなハリーに、魔法界の人間から一番にもたらされた情報は「両親に似ているという事実」であった。「自分が魔法使いであるという事実」よりも先にこのことを知るのである。

「お父さんにそっくり、だが目だけはお母さんの目」という言葉は、この物語の中で大事な伏線となっている。そこに込められた真の意味は第七巻の終盤でようやく明かされる。数千ページに渡ってそれまで紡がれてきたストーリーを覆す大事な秘密である。

それは、「リリーの目」にまつわる、スネイプ(Snape)という人物の秘密だった。スネイプはホグワーツ魔法魔術学校の教師の一人である。ハリーのことを目の敵にしており、ハリーもスネイプを憎悪している。敵か味方か、悪人なのか善人なのかわからないように描かれているため、スネイプに対する評価を二転三転させながら読者は読み進めることになる。そしてとうとう第六巻『謎のプリンス』において、スネイプは善の象徴ともいえるダンブルドア(Dumbledore)を殺害する。「スネイプ悪人説」は決定的なものとなるように思われるが、最終巻の終盤まで来たときに、読み手の評価はさらに逆転するのである。

「リリーの目」に込められた意味を知ったとき、今までと全く違うもう一つのストーリーが立ち現れる(ここでは「リリーの目」についての種明かしはこれ以上行わない)。今まで読んできたストーリーの裏に、スネイプとリリーの関係を軸としたもう一つのストーリーが現れる。「リリーの目」の秘密に読者は心奪われた。

だが、そのインパクトの大きさゆえに「ジェームズにそっくりだ」という部分はあまり注目されてこなかった。

「母の目」のもとで霞みがちな「父親にそっくり」という部分には何か意味がないのだろうか。「ジェームズに生き写しである」という部分に秘められたストーリーはなかったのだろうか。ローリングは、シリーズ全巻に渡る壮大な伏線を第一巻の序盤から仕掛けていた。「父親にそっくりだ。でも目だけはお母さんの目だね」。ローリングならば、この言葉の背後にさらなるストーリーを隠しかねない。このフレーズの裏に、ハリーの父ジェームズに関わる、さらなる物語を見出すことも可能なのではないだろうか。ローリングの物語構成の緻密さは計り知れないものである。一つ目の物語は、ハリー・ポッターを主人公とした物語。二つ目は、ハリーの母リリーと、スネイプを主人公とした物語。そして三つ目は、ハリーの父ジェームズともうひとりの人物を主人公とした物語。本稿の目的は、テクストを丁寧に読み解くことによって、三つ目の物語をあぶりだすことである。


2.2 シリウスの不可解な死
本稿の出発点は、三つ目の物語の主人公となる人物の死である。その主人公とは誰か。それは、シリウス・ブラックである。シリーズ最大の謎とも言える、シリウスの死である。第五巻『不死鳥の騎士団』の終盤で、彼は実にあっけなく死んでしまう。議論を始める前に、まずはシリウス・ブラック(Sirius Black)がどういう人物であるかを確認せねばなるまい。シリウスは、ハリーの後見人(godfather)である。また、ハリーの父ジェームズの親友でもあった。godfatherという概念は、多くの日本人にとってあまり馴染みのないものだろう。ここでいうgodfatherとは、親に準じる保護者のことを指す。実の両親がなんらかの理由により子どもを育てられない場合は、代わりにgodfatherが世話をすることもありうる。松岡佑子の日本語訳では「名付け親」と訳されているが、必ずしも名前をつける必要はない。

初めてシリウスの名前が登場するのは、第一巻、『賢者の石』の第一章である。このときは他の登場人物の会話の中で名前のみが登場する。本格的に登場するのは、第三巻、『アズカバンの囚人』である。タイトル中の「アズカバンの囚人」とはシリウスのことを指す。シリウスは、ハリーの両親を裏切り殺害に関与した上、ヴォルデモート失踪直後に大量殺人を犯したとされ、魔法使いの監獄アズカバンにて十三年の間服役していた。その後アズカバンからの脱獄に成功する。ハリーの命を狙う凶悪な脱獄囚として描かれるが、終盤にどんでん返しがあり、実は無実であったことが明らかになる。ハリーの両親を裏切ったのは、ピーター・ペテグリュー(Peter Pettigrew)という男であった。ピーターは、シリウス、ジェームズ、リリーらの友人であったがヴォルデモートの力に屈したのだった。汚名が晴れたあとシリウスは、後見人としてハリーを護り、ハリーに大きな影響を与える。重要な登場人物であるにも関わらず、ハリーの仲間として活躍するのは第四巻と第五巻のたった二冊分、物語中の時間に換算してたったの二年間である。


シリウスの死はあまりに謎に包まれているため、「シリウスは第六巻以降で生き返るのではないか」「実は死んでいないのではないか」という憶測も飛び交った。しかし、結局それらの推測は外れ、彼の死についての疑問が解消されることもなかった。以下シリウスの死の場面の分析に移る。シリウスが死ぬ直前まで闘っているのはベラトリックス・レストレンジ(Bellatrix Lestrange)という魔女である。この魔女はヴォルデモートの腹心の部下であり強力な魔力を持つ、歪んだ性格の人物である。

Only one couple were still battling, apparently unaware of the new arrival. Harry saw Sirius duck Bellatrix’s jet of red light: He was laughing at her. ‘Come on, you can do better than that!’ he yelled, his voice echoing around the cavernous room.
The second jet of light hit him squarely on the chest.
The laughter had not quite died from his face, but his eyes widened in shock. . . .
It seemed to take Sirius an age to fall. His body curved in a graceful arc as he sank backward through the ragged veil hanging from the arch. . . .
And Harry saw the look of mingled fear and surprise on his godfather’s wasted, once-handsome face as he fell through the ancient doorway and disappeared behind the veil, which fluttered for a moment as though in a high wind and then fell back into place. (Order of the Phoenix 805-806; ch.35; emphasises mine)

短い場面であるにも関わらず、疑問が次々と浮かぶ。

シリウスは何故死んだのか。
ベラトリックスはシリウスに何をしたのか。
シリウスの遺体はどこへ行ったのか。
ベールとはなにか。

全ては謎に包まれている。

ただし、この日この場所(魔法省)で命を落としたことは後の展開から明らかである。序論でも触れた通り、『ハリー・ポッター』はファンタジーに分類される。さりとて物語中でいかなることでも起こりうると考えるのは誤りである。生死に関するルールは現実世界のそれとなんら変わりはない。他の登場人物の死には明確な原因があり、死ねば遺体となる。だがその中でシリウスだけが例外なのである。彼の体はベールをくぐったのちにどこかへ消えてしまう。


シリウスは何故命を落とし、彼の遺体はどこへ行ってしまったのか。これらの疑問の鍵を握るのは、ベールではないだろうか。

この章のタイトルは 「ベールの向こうに」(“Beyond the Veil”) である。 “Beyond the Veil” というイディオムは、「あの世へ行く」という婉曲表現でもある。このことからも、シリウスが死んだのは呪文のせいではなく、ベールをくぐったためなのではないかと考えられる。ベラトリックスの放った光線がシリウスの命を奪ったのだという解釈も存在する。

しかしそう考えると矛盾が生じる。
ベラトリックスのかけた呪文がきっかけとなりシリウスの死を招いたことは確かである。だが、「ベラトリックスがシリウスの死を招いた」ことと「ベラトリックスがシリウスを殺した」ことは、厳密には異なる。ベラトリックスの呪文、最後の一撃がなんの呪文だったのかは明記されていない。 “First jet of light” が赤い光だったことから、これは「失神呪文」だと思われる。「失神呪文」とははその名のとおり、相手を失神させる呪文であり、失神させるのが関の山で、相手を殺してしまうほどの効力は持たない。相手の命を奪う呪文、通称死の呪文 “Abada Kedabra” が放つ光は緑色である。ローリングは色の設定に強くこだわる作家である。ベラトリックスの呪文をわざわざ緑ではなく赤と設定したのであれば、シリウスの直接の死因はベラトリックスの呪文ではないと考えるのが自然である。

シリウスがベールの向こうへ消えた直後、ハリー以外の人物はすぐにシリウスの死を認める。しかしハリーにはそれが出来ず、シリウスが戻ってくるはずだと言い張る。呪文が原因でシリウスが死んだのだとすると、ハリーの反応も不自然だと言えよう。シリウスの死因は やはり“Beyond the Veil” に消えたことであると筆者は考える。

これから、各章においてさまざまな疑問を呈し、それぞれについての考察を行う。それらを全て紡ぎ合わせたとき、シリウス・ブラックを主人公にしたもう一つの『ハリー・ポッター』の物語が浮き上がってくる。

3. シリウスは誰の恋人か

3.1 シリウスとジェームズの関係
シリウスの物語を探るにあたり、複数の観点から考察を行う。この章で考察を行いたいのは、「シリウスは誰の恋人だったのか」という問である。正確に答えるならば、この問に対する答えは「そもそも恋人などいなかった」となる。シリウスは、本来非常にハンサムな顔立ちであり、学生時代は女子生徒からの人気が高かった。

 “. . . He [Sirius] was very good-looking; his dark hair fell into his eyes with a sort of casual elegance neither James’s nor Harry’s could ever have achieved, . . . ” (Order of the Phoenix 642; ch.28)

このように、若き日のシリウスとにかくハンサムだった。ハリーやジェームズには決して真似することの出来ない、生まれながらの美しさをもった人間であった。しかしながら「シリウスは人生において一度も彼女をつくらなかったし、結婚もしなかった」とローリングは述べている。それは何故だろうか。自分の家の家系図を示しながら、ハリーに向かってシリウスはこのように語る。

“The pure-blood families are all interrelated,”. . . “If you’re only going to let your sons and daughters marry purebloods your choice is very limited, there are hardly any of us left. . . .” (Order of the Phoenix 186; ch.6)

シリウスの家系は、非魔法族マグルを蔑視し、魔法族の血を頑なに守る「純血」を好む家系であった。マグルとの結婚は拡大傾向にあるため、純血の家系は少なくなっている。ブラック家では純血の魔法族同士で結婚を行うことが何よりも重要視されるため、愛のない結婚も数多く行われていたに違いない。そのような例を見てきたシリウスが男女の絆を信用していなくても無理からぬことだろう。だが、彼が恋人を作らなかった理由がそれだけであるとは考えづらい。ほかにどのような理由が考えられるだろうか。恋人を作らなかったシリウスにも、親友はいた。シリウスが最も仲の良かった人物が、ハリーの父ジェームズである。 シリウスはジェームズについてこう語る。

 “ . . . Your father was the best friend I ever had. . . . ” (Order of the Phoenix 393; ch.29) 

シリウスとジェームズは、学生時代から無二の親友同士だった。原作にはない描写だが、映画では以下の様な台詞も加えられている。

“It’s been 14 years, and still not a day goes by that I don't miss your dad [James].” (Order of the Phoenix) 

往時のシリウスとジェームズを知る人々は以下のように表現する。ホグワーツの教師、フリットウィック先生は “You’d have thought Black and Potter were brothers!” (Prisoner of Azkaban 222; ch.10) と言う。これに続いて魔法大臣のファッジは “Inseparable!” (222) と表現する。彼らはまるで兄弟のようで、一心同体だった。これらの発言から、彼らがいつも一緒にいたことが伺える。ハリーとその一番の親友のロン・ウィーズリー(Ron Weasley)の二人組でさえ、“inseparable” であるとは言い難い。 “Inseparable” という表現からは、友人や兄弟というよりも双子に近いニュアンスが感じられる。

『ハリー・ポッター』の中の時間軸は基本的に現在である。だが例外もいくつか存在する。代表的なのは、「憂いの篩」(pensive)という道具を使う場合である。この道具を使用すると、他者の記憶の中に入り込み、過去を追体験することができる。その場合は、記憶の中における過去の出来事も描かれる。以下はスネイプの記憶を覗いたハリーが目撃した、過去のシリウスやジェームズらの姿である。テスト中でさえ、彼らは仲が良い。答案を書き終えたジェームズは、あくびをし、髪をくしゃくしゃにすると、後ろを振り向く。

. . . he [James] turned in his seat and grinned at a boy sitting four seats behind him.
With another shock of excitement, Harry saw Sirius gives James the thumbs-up. (Order of the Phoenix 642; ch.28)

実は、同じときに後ろの女の子がシリウスに熱い視線を送っているのだが、シリウスはそのことに気づきもしない。“. . . a girl sitting behind him[Sirius] was eyeing him hopefully, though he didn’t seem to have noticed.” (Order of the Phoenix 642; ch.28) 女の子に見つめられたシリウスの視線の先にいるのはジェームズである。シリウスとジェームズは無二の親友同士だった。双子のように仲がよかった。家に居場所がなかったシリウスにとってポッター家はもうひとつの家族であった。もちろん彼らは親友同士であったし、血のつながりがなくともお互いを家族のように捉えていたことは確かだ。しかしここで述べたいのは、それ以上の特別な感情があったのではないか、という可能性である。イヴ・セジウィック(Eve Sedgwick)は著書『男同士の絆』(Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire)において「ホモソーシャル」という理論を唱えた。ホモソーシャルな関係というのは、ホモセクシャルな関係から性的要素を取り除いたものである。筆者が思うに、シリウスとジェームズの絆もホモソーシャル的関係である。なぜこのような結論に至ったのか、その根拠を以下で示す。

3.2 シリウスとジェームズの女性嫌悪
ホモソーシャル理論は、女性嫌悪(ミソジニー)と同性愛嫌悪(ホモフォビア)の概念に支えられている。女性嫌悪とは女性を性的対象としてしかみなさないことを指し、いわゆる「女好き」も一種の女性嫌悪のうちに含まれる。ここでは、物語中における女性嫌悪的描写に着目する。ジェームズは学生時代からリリーのことが気になっていたという設定だが、学生時代のジェームズとリリーの関係は限りなく女性嫌悪に近いと言えるだろう。対等な人間同士としてではなく、男同士の友情のあいだに介在するツールにすぎないのである。しかもリリーはジェームズを嫌っていた。

She [Lily] had clearly loathed James and Harry simply could not understand how they could have ended up married. Once or twice he even wondered whether James had forced her into it. . . . (Order of the Phoenix 653; ch.29)

激しくジェームズのことを嫌っていたリリーがなぜ結婚にまで至ったのか、息子であるハリーでさえ首をかしげる。ジェームズはリリーと無理矢理結婚したのではないかまで疑うようになる。仲の良い夫婦というイメージの強いジェームズとリリーだが、実は本編中において二人の仲の良さが直接的に語られる場面は一つとして存在しない。ふたりのあいだの交流が描かれるのは、学生時代、喧嘩をしていたときの描写のみである。仲の良さが読み取れる描写がふんだんに存在するシリウスとジェームズとは対照的である。
3.3 シリウスとジェームズの「男同士の絆」
シリウスとジェームズの関係に話を戻す。シリウスの家は魔法族の血を崇拝しマグルの血を嫌う純血主義の家系であった。家族と反りが合わず、十六歳にして家を出たシリウスが身を寄せたのはジェームズの家だった。以下は、ハリーとシリウスの会話である。

“You [Sirius] ran away from home?”
“When I was about sixteen,” said Sirius. “I’d had enough.”
“Where did you go?” asked Harry, staring at him.
“Your dad[James]’s place,” said Sirius. “Your grandparents were really good about it; they sort of adopted me as a second son. . . .” (Order of the Phoenix 111; ch.6)

「一緒に住む」という描写はシリーズ中のほかの登場人物を連想させるものである。それはダンブルドア(Dumbledore)とグリンデルバルド(Grindelwald)である。ダンブルドアとは、ホグワーツ魔法魔術学校の偉大なる校長である。グリンデルバルドとは、ヴォルデモートが現れる以前、史上最悪の魔法使いと呼ばれた人物である。ダンブルドアが同性愛者であるというエピソードは読者のあいだで有名である。この設定は、原作中では明示されていない。2007年に開かれた新刊出版記念イベントにてローリングが発言したことにより明らかになった。ダンブルドアがゲイであることについては賛否両論さまざまな意見が存在するが、その設定の是非についてはここでは議論を行わない。

3.3 ハリーとジェームズを混同するシリウス
シリウスは、親友の子どもであるハリーを非常に可愛がる。

ハリーの身に危険が降りかかりそうになると、無茶をしてでも助けにくる。これは自然な行動だと考えられる。しかし、シリウスのハリーへの愛情表現に着目すると、あたかもハリーをジェームズの分身のように捉えていることが読み取れる。

一つ目の根拠は、シリウスがハリーを評価するときの基準である。ハリーのことを褒めるにしろ叱るにしろ、シリウスの基準は勇気や学業、モラルではない。「いかにジェームズに似ているか」なのである。褒めるときはこのように褒める。

“ ‘We’ll see each other again,’ he said. ‘You are – truly your father’s son, Harry. . . .’ ” (Prisoner of Azkaban 447; ch.21) さらに、叱るときはこのように叱る。“ ‘You are less like your father than I thought,’ he said finally, a definite coolness in his voice. ‘The risk would’ve been what made it fun for James.’ ” (Order of the Phoenix 305; ch.18)

 シリウスにとって、ジェームズの行動こそが最高規範であり、ハリーがそれに近づけば褒め、逸脱すれば叱るのである。このようなシリウスに対し、周囲の人間は「ハリーとジェームズを混同している」と指摘する。以下の引用は、ロンの母親であるモリー・ウィーズリー(Molly Weasley)とシリウスが口論する場面である。

“He [Harry] is not James, Sirius!”
“I’m perfectly clear who he is, thanks, Molly,” said Sirius coldly.
“I’m not sure you are!” said Mrs. Weasley. “Sometimes, the way you talk about him, it’s though you think you’ve got your best friend back!” (Order of the Phoenix 89; ch.5)

まるでジェームズが帰ってきたかのようにハリーに接していることがある、とモリーは注意する。
二つ目の根拠は、ハリーと一緒に住みたいという意思表示をシリウスが繰り返す点である。合計三度に渡って、シリウスはハリーと共に住みたがる。一度目は、ジェームズとリリーがヴォルデモートに殺された直後である。ハグリッドの記憶では、シリウスはこのように言った。“ ‘… An’ then he [Sirius] says, ‘Give Harry ter me, Hagrid, I’m his godfather, I’ll look after him –’ ”(sic) (Prisoner of Azkaban 224; ch.10) 二回目は、第三巻においてシリウスが無罪であることをハリーが知った直後である。ハリーがもし別の家庭がほしいと思うのであれば、自分と一緒に住まないかとシリウスは提案する。

‘I’ll understand, of course, if you want to stay with your aunt and uncle,’ said Sirius. ‘But . . . think about it. Once my name’s cleared … if you wanted a … a different home …’ . . .
‘What – live with you?’ he said, . . . ‘Leave the Dursleys?’
‘Of course, I thought you wouldn’t want to,’ said Sirius quickly. ‘I understand. I just thought I’d --’
‘Are you mad?’ said Harry, his voice easily as croaky as Sirius’s. ‘Of course I want to leave the Dursleys! Have you got a house? When can I move in?’ . . .
‘Yow want to? He said. ‘You mean it?’
‘Yeah, I mean it!’ said Harry. (Prisoner of Azkaban 407-8; ch.20; emphasises mine)

「ダーズリー一家のもとを離れたい」という強い願望があるハリーは、シリウスの提案に対して、積極的に同意する。ハリーの返事を聞いた、シリウスは“the first true smile”(408) を見せる。
 三回目は、第五巻『不死鳥の騎士団』にてハリーが退学処分の危機に瀕したときである。ハリー自身に非がないにも関わらず、ハリーはマグルの前で魔法を不正に使用したという理由で懲戒尋問に呼び出される。懲戒尋問で有罪判決がくだれば、ハリーは退学処分となりホグワーツに居られなくなってしまう。懲戒尋問の前に、「もしも退学になったら一緒に住んでもいいか」とハリーはシリウスに尋ねる。シリウスがはっきりと口に出して一緒に住みたいという意思を見せることはない。だが、懲戒尋問の結果ハリーが無罪になると、シリウスはだんだんと塞ぎこむようになる。

Over the next few days Harry could not help noticing that there was one person . . . , who did not seem wholly overjoyed that he would be returning to Hogwarts. Sirius had put up a very good show of happiness on first hearing the news, wringing Harry’s hand and beaming just like the rest of them; soon, however, he was moodier and surlier than before, talking less to everybody, even, Harry, and spending increasing amounts of time shut up in his mother’s room. . . . (Order of the Phoenix 159; ch.9)

ハリーが退学処分になり、自分と一緒に暮らせるようになるとシリウスが期待していたのではないか、とハリーの友人ハーマイオニー(Hermione)は考える。

‘ . . . He just got his hopes up that Harry would be coming to live here with him.’
‘I don’t think that’s true,’ said Harry, wringing out his cloth. ‘He wouldn’t give me a straight answer when I asked him if I could.’
‘He just didn’t want to get his own hopes up even more,’ said Hermione wisely. ‘And he probably felt a bit guilty himself, because I think a part of him was really hoping you’d be expelled. Then you’d both be outcasts together.’ (Order of the Phoenix 159; ch.9; emphasises mine)

心の底では、ハリーが退学になることを願っていたのではないかとハーマイオニーは言う。このように、シリウスは三度に渡ってハリーとともに住みたがるのである。ハリーの両親が亡くなったときにシリウスがハリーを引き取ろうとするのは、godfatherとして自然な行動であり、義務感ゆえであると考えられる。だが、十年以上の時を経て、その後も共に住みたがるというのは、godfatherの役割の範疇を超えているように思われる。この不可解な行動も、シリウスとジェームズのホモソーシャル的関係を考えれば納得が行く。大親友の生き写しを自分の手元に置いておきたがるシリウスの姿は、まるで愛する人の分身として子どもをほしがる女性のように見える。
赤ん坊のハリーがヴォルデモートの力を打ち砕いた夜、ハリーは両親を亡くしひとりぼっちになってしまった。ダンブルドアの命を受け、ハグリッドがハリーを救い出しに行き、唯一の親戚であるダーズリー家にハリーを届ける。ハグリッドは無事にダーズリー家に到着するのだが、彼はなぜか “huge motorbike” (Philosopher’s Stone 16; ch.1) に乗って現れる。予想外の手段で現れたハグリッドに対しダンブルドアは“ ‘… where did you get that motorbike?’ ” (16) と尋ねる。 シリウス家のブラックが貸してくれたのだ、とハグリッドは答え、会話は以下のように続く。

‘No problems, were there?’
‘No, sir – house was almost destroyed but I got him out all right before the Muggles started swarmin’(sic) around. . . .’ (16)

「何か問題はなかったかね?」と尋ねるダンブルドアに対し、ハグリッドは、野次馬のマグルたちが来る前に無事ハリーを連れ出せたことを(少し誇らしげに)報告する。だが、ダンブルドアが「何か問題はなかったか」と問う直前の会話は、シリウスと彼のバイクについての話だった。ダンブルドアは、物事の本質を把握し、他人の考えをも見透かすような人物である。ダンブルドアの質問の “problems” の中には、シリウスのことも含まれていたのではないだろうか。シリウスがハリーを育てたがることを予想していたとしてもおかしくないだろう。そのように考えると、ここでのダンブルドアの質問は、「シリウスとハグリッドのあいだで何か問題はなかったか」とハグリッドとシリウスのあいだで何か面倒が起きなかったかと問うたのだと考えられる。ハグリッドは大らかで心優しい人間なのだが、どこか間の抜けた一面がある。そのため、ダンブルドアの問いかけに対し少しずれた受け答えをしたのではなかろうか。

3.4 シリウスとジェームズの「序章」
上記の場面で不可解な点は、ほかにも存在する。シリウスがハグリッドにオートバイを貸した理由も理解しがたい。なぜシリウスはハグリッドにオートバイを渡したのだろうか。この疑問に対し、第三巻『アズカバンの囚人』にて、ハグリッドがシリウスのことを思い出しながら語る。(このときまだハグリッドは、シリウスが無実だということを知らず、殺人犯だと思い込んでいる。)シリウスは「自分にはもう必要がない」と言い、ハグリッドにオートバイを渡した。以下はそのときのことを回想するハグリッドの証言である。

‘ . . . he says, “Give Harry ter me, Hagrid, I’m his godfather, I’ll look after him –” Ha! But I’d had me orders from Dumbledore, an’ I told Black no, Dumbledore said Harry was ter go ter his aunt an’ uncle’s. Black argued, but in the end he gave in. Told me ter take his motorbike ter get Harry there. “I won’t need it any more,” he says.
‘I shouda known there was somethin’ fishy goin’ on then. He loved that motorbike, what was he gibin’ it ter me for? Why wouldn’ he need it any more? . . . ’ (sic) (Prisoner of Azkaban 224; ch.10)

ハグリッドの考えでは、シリウスは犯罪者であるため目立つオートバイを所持できないのだということだった。だがこの推測は間違っていた。シリウスは無実であり、オートバイを手放す必要はなかったからだ。ならば何故シリウスは、もうオートバイは必要ないと判断したのか。その答えは、ローリングが2007年に発表したチャリティ用の小説の中にある。ローリングは『ハリー・ポッター』シリーズの前日譚となる短編小説を一つ発表した。この小説にタイトルはなく序章(prequel)という位置づけである。八百語程度のコメディタッチの物語である。序章と呼ぶにはあまりに短いように思われるが、この短編の中にも本編の重要な伏線となりうる描写がなされている。ここに書かれているのは、ホグワーツを卒業した直後と思われる若き日のシリウスとジェームズの逸話である。軽快で疾走感があり、言葉遊びが散りばめられている。物語のあらすじは以下のとおりである。
二人の警官が、オートバイに二人乗りしているシリウスとジェームズを追いかけていた。ロックバンド好きの少年のような出で立ちをしたシリウスとジェームズは、ヘルメットもかぶらず、スピードも大幅に違反し、警官の呼びかけも無視していた。警官は生意気な若者二人を追い詰めたかのように思ったが、その瞬間、パトカーが立ち上がり、そこに箒にのった三人の男が突っ込んでくる。警官は何が起こったのかも飲み込めぬまま、恐怖のあまり何も出来ずに座り込む。三人の男はパトカーにぶつかって気絶し、二人の若者は空飛ぶオートバイに乗ってゆうゆうと去っていくのだった。
 
シリウスのオートバイがどのように使われていたのか、『ハリー・ポッター』シリーズの本編からはあまり読み取ることが出来ない。だが、ここでは、二人でオートバイを乗り回すシリウスとジェームズが描かれている。 “A huge motorbike” は、おそらく二人で乗るのにちょうど良かったのだ。シリウスが大のお気に入りだったオートバイをハグリッドに渡した理由はここにある。信じがたい親友の死を目の当たりにして自暴自棄にもなっていた可能性も考えられる。子どものハリーとも共に暮らせないとわかったシリウスにとって、思い出のつまったバイクはもはや必要のないものだったのだろう。

もう少し、この短編についての考察を続けたい。ここで追ってくる三人の男が何者なのかは、本文中では明らかにされていない。しかし推測するに、彼らはおそらくヴォルデモートの手下「死喰い人」(Death Eaters)なのだろう。シリウスもジェームズも悪戯好きだったが、なんの罪もない人間を気絶させ、箒を破壊したりするほど素行不良の人物だったとは考え難い。この話がいつの出来事の設定なのかははっきり書かれていないが、 “They seemed to be in their late teens” と表現されていることから、ホグワーツ卒業直後の話なのではないかと考えられる。ジェームズが二十一歳で亡くなったことを考えると、ヴォルデモートの力が日増しに強くなり、ダンブルドアら率いる騎士団対闇の陣営の戦いも非常に激しかった時期であることがわかる。そのような暗い時代において、どれほど危険な状況においても、シリウスとジェームズは怖気づくことなどなかったようだ。それどころか、死喰い人に追われているときでも、彼らはスリルを楽しんでいるかのように描かれている。先ほど、シリウスのハリーに対する評価の判断基準は「ジェームズに似ているかどうか」であると述べた。この描写を読むと、シリウスの身を案じ、危険なことはしないでほしいと心配する真面目なハリーに向かって「父親に似ていない」とシリウスが落胆する理由も頷ける。
 気になる点はほかにもある。それは、彼らがふざけて口にする架空の名前である。「名前は何だ」と警官に問い詰められたシリウスは、このように答える。

“Names?” repeated the long-haired driver. “Er -- well, let’s see. There’s Wilberforce... Bathsheba... Elvendork...”
[James] “And what’s nice about that one is, you can use it for a boy or a girl,” said the boy in glasses.
“Oh, our names, did you mean?” asked the first, as Anderson splutered with rage. “You should’ve said! This is James Potter, and I’m Sirius Black!” (prequel)

自分の名前ではなく、一風変わった名前を次々列挙する。この話はあくまでコメディであり、この描写もシリウスとジェームズお得意のおふざけだと捉えることも可能だ。警察を小馬鹿にしてふざけているのは確かである。しかし気になるのは、一番最後に挙げる“Elvendork”という名前である。これはローリングが創作した架空の名前である。この世に存在しない不思議な名前を、シリウスは咄嗟に思いついたのだろうか。間髪入れずにジェームズもこの名前に対して “ ‘what’s nice about that one is, you can use it for a boy or a girl’ ”と語っているところを見ても、どうやらその場しのぎのでっち上げではなさそうである。この場合と同様に、名前を問われ咄嗟に嘘をつく、というシーンは『ハリー・ポッター』シリーズ本編中にもいくつかある。以下は第三巻『アズカバンの囚人』において、ダーズリー家を飛び出したハリーが「夜の騎士バス」(Knight bus)に乗る場面である。運転手のスタン(Stan)に名前を訊かれたハリーは、咄嗟に友人のネビル(Neville)のふりをする。

‘Woss your name?’ (sic) Stan persisted.
‘Neville Longbottom,’ said Harry, saying the first name that came into his head.(Prisoner of Azkaban 43; ch.3)

同じ構造はほかにもある。第七巻『死の秘宝』の中で「人さらい」(Snathers)に遭遇する場面がそれにあたる。

  “What’s your name?” snarled Greyback.
  “Dudley,” said Harry.
  “And your first name?”
  “I – Vernon. Veron Dudley.” (Deathly Hallows 447; ch.23)

注目すべきは、どちらの場合も会話の構造が同じであり、なおかつハリーは物語中における「実在の人物」の名前を語っているという点である。ロンは第七巻で「人さらい」に捕らえられたとき「スタン・シャンパイク」(Stanly Shunpike)と名乗るし、ハーマイオニーは「ペネロピー・クリアウォーター」(Penelope Clearwater)と名乗る。これらも物語中に出てくる人物の名である。彼らはなぜ知っている人のふりをするのか。その理由はロンが説明してくれる。

“ ‘It’s a damn sight harder making stuff up when you’re under stress than you’d think. I found that out when Snatchers caught me. It was much easier pretending to be person.’ ” (Deathly Hallows 426; ch.22)

緊張している状態で嘘をつくことはなかなかに困難なことである。嘘をつくときは、「真実」を言うほうが簡単なのだ。ここまで何度も似たような状況を書いていたローリングが、序章においての不用意に架空の人物の名前を混ぜてしまうことはまずありえない。ではこの “Elvendork” とは一体誰のことだったのか。手がかりは、ジェームズが言う “unisex” である。

まず一つ目の説は、これはハリーの名前の候補であったという解釈である。ジェームズが二十歳のときにハリーが生まれたことを考えると、これは妥当性があるだろう。生まれる子が男の子か女の子かわからない段階で、男女どちらでも使える “unisex” な名前を考えるころは大いにありえる。だが筆者の解釈は異なる。シリウスもジェームズも、学生時代に架空の名前を使っていた。自らを「いたずら仕掛け人」(magical mischief makers)と名乗り、ムーニー(Moony)、ワームテール(Wormtail)、パッドフット(Padfoot)、プロングズ(Prongs)という架空の名前を自分たちでつけていた。彼らが架空の自己を作り上げて楽しんでいたことは間違いない。ここからは彼らの変身願望を読み取ることができる。特にシリウスは、一族の信条と異なる考えを持つ「裏切り者」であったため、親からもらった自らの名前を気に入っていなかった可能性は高い。一番の親友であったジェームズの前では、性別を越えてつけることのできる別の名を考えていたのではないだろうか。

“Elvendork” が “unisex” な名前であるということは、この短編の最後でもう一度強調される。“ ‘Yeah, nice meeting you” said James. “And don’t forget: Elvendork! It’s unisex!’ ” このように考えていくと、シリウスがハリーを可愛がるのは、ハリーの姿にジェームズを重ねているからだという解釈に行き着く。シリウスの目の前にいるハリーは、シリウスの記憶の中のジェームズそのものだからである。もちろん、シリウスがハリーの世話をしようとするのはハリーという人間を大事に思っているからに違いない。だが、彼がハリーを通して見ている人間、思い浮かべている人間は別にいる。ちょうど、スネイプがハリーを通してリリーを見ていたのと同じように。


4. シリウスは誰の親か

4.1 代理親の必要性
本論第三章では「シリウスとジェームズの特別な絆」について論じた。次に本論第四章で論じたいのは「シリウスは母である」という考察である。無論、シリウスは男性である。生物学的母ではなく、立場上の母である。では誰の母親か。それは主人公ハリーの母である。もちろん、ハリーにはリリー・ポッターという実の母親が存在する。血縁関係や性別と関係なく、シリウスはリリー亡き後の代理の母であるということを言いたいのである。序章でも述べた通り、『ハリー・ポッター』シリーズは、一種のビルドゥングス・ロマンである。主人公の少年がさまざまな試練を乗り越え成長してゆく物語である。十一歳の少年が成人するまでの過程を描く際に、親との関係の描写、特に親離れの描写は不可欠である。だがハリーの実の両親はすでにこの世にいない。そこで、周囲の大人たちが彼の親代わりとなるのだ。シリウスはハリーの後見人(godfather)である、ということは先述のとおりである。ハリーの両親はヴォルデモートに殺されてしまったので、シリウスが父親の代理としてハリーを守るのだ。男性的な外見からも、向こう見ずで勇猛果敢な性格からも、シリウスはハリーの父親代わりであると一般的には考えられている。Godfatherという役割も、その名の通り父親代わりであることを示している。シリウスが母であるというのは突拍子もない考えであるという批判も承知している。それでも筆者が「シリウスは母である」と主張する根拠を以下で述べたい。

4.2 代理親の椅子取りゲーム
 ハリーの前には複数の代理親候補が現れる。それは例えるならば椅子取りゲームのようなものである。一つしかない代理親の座をめぐって、さまざまな人が争奪戦を繰り広げる。椅子取りゲームに参加する人々を順に見ていく。

4.2.1 ダーズリー夫妻
 ハリーの実の両親亡き後、育ての親としての役割を担うのがダーズリー夫妻(Mr. and Mrs.Dursley)である。だが彼らはハリーに愛情を注ぐことはなかった。実の子どもでありハリーの従兄弟にあたる一人息子ダドリー(Dudley)を溺愛し、それとは対照的にハリーには辛くあたる。ダーズリー一家は完全なるマグル(非魔法族)という設定である。マグルとは魔法使いの使えない、いわゆる「普通」の人間である。ダーズリー一家の描写は、ほかのどの場面にもましてコメディタッチで描かれている。バーノン・ダーズリーやダドリー・ダーズリーといった名前は、B、D、Zなどの破裂音が過度に使用されており品のない印象を与える。彼らに関するエピソードは、話の展開もさながらギャグアニメのようである。彼らは伝統的なお伽話における「意地悪な継母」の流れも汲んでいる。彼らは真の意味でのハリーの代理親とはなりえないのである。

4.2.2 モリー・ウィーズリー
モリー・ウィーズリー(Molly Weasley)は、ハリーの親友であるロンの母親である。大家族の母であり、家事や料理がうまく、少々過保護なくらい世話好きな性格の人物として描かれている。ハリーのことを我が子同然に可愛がっているが、ハリーのことを心配しすぎるあまりしばしば取り乱してしまうこともある。第四巻『炎のゴブレット』では、学校の公式行事にハリーの家族として応援に来る。モリーはまさに “very much the prototypical mother” (Grimes, 96)である。また、モリーのすることと言えば、“cooking, worrying, scolding, and knitting Christmas jumpers” (Pugh, 11) といった典型的な「母親の仕事」なのである。まさに彼女は “who inhabits the role of surrogate mother for Harry” (Pugh, 11)なのである。フェミニズムの観点から『ハリー・ポッター』シリーズを批判した批評は数多く存在するが、先に引用したGrimes とPughの批評もそのうちに含まれる。彼らの意見では、モリーはあまりに典型的で古めかしい母親像を呈しているということである。本稿において『ハリー・ポッター』シリーズとフェミニズムとの関連について触れるつもりはないが、批判の的になるほどモリーは「母親らしい」存在、母親というイメージを体現した存在であるといえるだろう。モリーがハリーを実の子のようにかわいがっていることは、さまざまな場面から読み取れる。以下はその一例である。
以下の場面でモリーが対峙しているのは、真似妖怪ボガードという生き物である。この生き物は、目の前にいる人が一番恐れているものの姿に化け、人間を脅す。

“No!” Mrs. Weasley moaned. “No . . . riddikulus! Riddikulus! RIDIKKULUS!” Crack. Dead twins. Crack. Dead Percy. Crack. Dead Harry . . . (Order of the Phoenix ; ch.9, 176) 

ボガードは、モリーの子どもたちが死んでいる姿に次々と変身する。そしてその中に、実の息子ではないにも関わらずハリーも加わっているのである。ほかにも危険に晒されている仲間はいるのだが、ハーマイオニーやシリウスといった他のメンバーの姿は現れない。モリーにとってハリーの死は身内の死と同じくらい恐ろしい出来事なのである。 
このように、あらゆる意味で「母親」の要素を持つモリーと真っ向から対立する人物がいる。それがシリウス・ブラックである。以下は、モリーとシリウスが口論をしている場面である。

“Meaning I’m an irresponsible godfather?” demanded Sirius, his voice rising. …
“He’s not your son,” said Sirius quietly.
“He’s as good as,” said Mrs. Weasley [Molly] fiercely. “Who else has he got?”
“He’s got me!” (Order of the Phoenix 89-90; ch.5)

モリーとシリウスは、言うまでもなくハリーの味方であり守る立場の人間である。二人が共同でハリーの保護者という立場を担うのが自然だろう。しかし、この二人は協力してハリーの世話をしようとはしない。あくまでどちらか一人だけが正しい保護者であり、ハリーの保護に関する主導権を握れるのだと考えている。モリーはハリーの代理母である。そのモリーとシリウスが、ハリーの保護者という立場をめぐって争っている。ということはすなわちシリウスもハリーの代理母といえるのではないか。ハリーをめぐるモリーとシリウスの姿は、あたかも母の座を奪い合っているかのように見える。


4.3 「父親」としてのダンブルドアと「母親」としてのシリウス

本稿第四章第二節では、代理母であるモリーに対してシリウスが対抗していることから、シリウスが代理母の座につこうとしているのではないかと述べた。しかし母親の役割を定義付けることは難しい。そこで、ハリーの父親と言うべき存在であるダンブドアとシリウスの対比を行う。そうすることにより、シリウスの役割が母のそれであることがより鮮明になる。
第四巻『炎のゴブレット』において、ハリーは復活を遂げたヴォルデモートと直接対決をする。命からがら死の危険を逃れ、ハリーは安全なホグワーツに戻ってくる。疲れ果てたハリーに対するシリウスとダンブルドアの態度は、非常に対照的かつ象徴的なものである。

“I need to know what happened . . . in the maze, Harry,” said Dumbledore.
“We can leave that till morning, can’t we, Dumbledore?” said Sirius harshly. He had put a hand on Harry’s shoulder. “Let him have a sleep. Let him rest.”
Harry felt a rush of gratitude toward Sirius, but Dumbledore took no notice of Sirius’s words. (Goblet of Fire 694; ch.36)

疲弊しきっているハリーをとにかく休ませてあげたいと頼むシリウスに対し、ダンブルドアは耳を貸さない。シリウスはハリーに休息を与えようとするが、ダンブルドアは義務を果たすことを要求するのである。いかはその続きである。“Once or twice, Sirius made a noise as though about to say more thing, his hand still tight on Harry’s shoulder, but Dumbledore raised his hand to stop him, . . . . (695)” ダンブルドアの要求でハリーが話をしている間、シリウスはずっとハリーの肩に手を置いている。これはディケンズの小説『大いなる遺産』(Great Expectations)におけるジョー(Joe)とピップ(Pip)の描写を連想させる。 “Joe laid his hand upon my shoulder with the touch of a woman.” (Great Expectations, 138; ch18; emphasis mine)「女のように手を置く」のである。物語後半、ジョーは、心身の疲労により倒れたピップの世話をする。その様子は中年の男性と20代前半の青年というよりも、母と幼子の関係のようである。

ハリーとシリウスの関係を考察するにあたっては、ハリーがシリウスをどのような存在として捉えているかも考慮せねばなるまい。ハリーの言動を見ていると、シリウスは唯一ハリーが「甘える」ことの出来る人物であることがわかる。以下の引用は、ハリーがシリウスに「甘える」部分である。任務を抱えたシリウスがハリーの元を去ろうとするが、ハリーはそれを嫌がる。

He wanted Sirius to stay. He did not want to have to say good-bye again so quickly.
“You’ll see me very soon, Harry,” said Sirius, turning to him. “I promise you. But I must do what I can, you understand, don’t you?” . . . Sirius grasped his hand briefly . . . (Goblet of Fire 713; ch.36)

お別れを嫌がるハリーに対して、シリウスは「またすぐ会えるよ」と優しく諭す。そしてシリウスはハリーの手をぎゅっと握り、去る。まるで幼稚園児向けの絵本の一場面のようである。


4.4 『大いなる遺産』との類似

冒頭でも少し触れたが、第三巻『アズカバンの囚人』の構成、またシリウスの人物造形はディケンズの『大いなる遺産』を下敷きにしているのではないかと思われる。序章でも述べた通り、ローリングはさまざまな作品から着想を得て『ハリー・ポッター』シリーズを書いている。『大いなる遺産』もその一つに入るのではないだろうか。

『大いなる遺産』は、ピップの半生を描いており、恋愛、謎解き、友情などさまざまな要素が盛り込まれた長編である。登場人物の数も少なくないが、本稿では『アズカバンの囚人』との共通点に重きを置くため、ピップ、マグウィッチ(Magwitch)、ジョーの三人に絞って議論を進める。結論から先に述べると、シリウスはマグウィッチとジョーの両方の要素を併せ持つ人物なのである。

4.4.1 シリウスとマグウィッチ
主人公に恐怖心を与える脱獄囚が実は自分の保護者だった、という展開はマグウィッチとシリウスに共通するものである。また、マグウィッチは正体を明かさないままピップに対し金銭的な援助を行うが、シリウスも似たような行為をしている。第三巻『アズカバンの囚人』において、シリウスは正体を明かさないままハリーに高価な箒をプレゼントするのだ。

4.4.2 シリウスとジョー
ピップの義兄であり、大きな年齢差があるにもかかわらずピップを対等な親友として扱う人物がジョーである。ジョーの特徴は、性別は男であるものの母親のような役割を果たしているところである。仕草が女性的であるとの記述もある。“… Joe wrapped me up, took me in his arms, carried me down to it, and put me in, as if I were still the small helpless creature to whom he had so abundantly given of the wealth of his great nature.” (Great Expectations, 461; ch.57) 性別を越えて、ジョーが母親のように振舞っているのには理由がある。ピップは両親を亡くした後実の姉のもとに引き取られる。姉が代理母を、ジョーが代理父の役割を担うのが自然な役割だろうが、この場合はそうはいかない。姉は気難しく、頻繁に周囲に当たり散らす人物で、ジョーやピップに対しても抑圧的な態度をとる人間だった。ディケンズの作品には「家庭の天使」と呼ばれる役割を果たす理想的な母親像を体現する女性が頻出するが、このミセス・ジョーは「家庭の天使」とは程遠い。生活に必要最低限な要素、寝床と食料は与えるものの、ピップにとって姉はつねに脅威で在り続けた。そこで幼いピップの精神的支柱となっていたのがジョーだった。ジョーは、頭の回転がやや遅く、読み書きもままならない。田舎的で素朴な人物である。

シリウスは、経歴に関してはマグウィッチを類似しており、人格はジョーと類似していると考えられる。

4.5 「代理母」としてのゼノフィリウス
「母を亡くした子を世話する男性」という役割を果たす人物は、シリウスのほかにも存在する。ハリーの友人ルーナ・ラブグッド(Luna Lovegood)とその父ゼノフィリウス(Xenophilius)がそれにあたる。ルーナもゼノフィリウスも一風変わった人物であり、実在しない生物を追い求めて旅に出たり奇抜な服装で周囲を驚かせたりしている。ルーナには母親がいない。ルーナが9歳の時に、母親は事故で死んでしまう。その後世話をし続けたのがゼノフィリウスである。このゼノフィリウスも、母親のような振る舞いをする。ゼノフィリウスの家を訪れたハリーたちに対し、ゼノフィリウスはいそいそとお茶を淹れにいく。

 “. . . Xenophilius had climbed back up the spiral staircase into the room, his thin legs now encased in Wellington boots, bearing a tray of ill-assorted teacups and a steaming teapot.” (Deathly Hallows 403; ch.20)

 お茶が済むと今度は“ ‘You will stay for dinner?’ ” (413; ch.21) と誘う。

そしてこう続ける。“ ‘Everybody always requests our recipe for Freshwater Plimpy soup.’ ”(413; ch.21) 我が家の献立自慢をするゼノフィリウスは、あたかも手料理自慢をする主婦のようである。


5. 母リリーを象徴する行為

本論第三章では「シリウスがジェームズの恋人である」、第四章では「シリウスはハリーの母である」という論証を行った。これらの論証はばらばらでは意味をなさない。次章では筆者の解釈を提示するが、次章に進む前にこれまでの章と次章の補助線となる重要な描写を押さえておきたい。シリウスは、象徴的な意味においてジェームズの恋人であり、かつ、ハリーの母であった。だが、文字通りジェームズの恋人かつハリーの母であった人物も忘れてはならない。それはリリー・ポッターである。以下は、リリーがヴォルデモートに殺害される場面である。

He forced the door open, cast aside the chair and boxes hastily piled against it with one lazy wave of his wand . . . and there she stood, the child in her arm. At the sight of him, she dropped her son into the cot behind her and threw her arms wide, as if this would help, as if in shielding him from sight she hoped to be chosen instead. . . .
“Not Harry, not Harry, Please not Harry!” …
The green light flashed around the room and she dropped like her husband. (Deathly Hallows 344; ch.17; emphasis mine)

リリーが我が身を挺してハリーを守ったおかげで、ハリーの命は助かったのだということ物語中で何度も語られる。ストーリー全体の鍵を握る重要なシーンである。

しかし、何か違和感を覚えはしないだろうか。違和感の正体は下線部である。

リリーは「息子をゆりかごの中におろし」さらに「両手を広げて」立ちはだかる。これはなんとも奇妙な行動ではないだろうか。すぐそばに自分より弱い者がいて、その人に命の危機が迫っているとしたら、どのようにしてその人を庇うだろうか。多くの人は、敵に背を向け弱者を抱きかかえる形で護ろうとするのではないかと思う。抱いていた子をわざわざゆりかごに下ろすだろうか。どうも不自然であるように思われる。ローリングが不用意にそのように描いてしまっただけだろうか。そうではない。キリストの磔刑、十字架を思わせる「両手を広げる」という描写は作中で複数回登場している。この構図はほかの場面でも繰り返されているのだ。

He [Voldemort] raised his wand. She screamed. Two young children came running into the hall. She tried to shield them with her arms. There was a flash of green light ― (Deathly Hallows 233, ch.12; emphasis mine)

ここで書かれている “she” とは無名の女性である。物語中でこの場面にしか登場しない。この場面は、ヴォルデモートからハリーを護ろうとするリリーの描写によく似ている。ここでも母親は、両腕を広げ、自らが盾となって子どもたちを護ろうとするのだ。この例だけではない。「両手を広げて、愛するものを護る」という構図が、母親、さらにはリリーを示すものであることは、次の引用から読み取れる。


次の引用は、ルーナ・ラブグッドという友人の実家をハリーが訪ねた場面である。ハリーはルーナに会いに来たのだが、ルーナは既にヴォルデモート一味に連れて行かれたあとであり、そこにはルーナの父親であるゼノフィリウスしかいなかった。

雑誌の編集長であるゼノフィリウスは、以前はハリーを支持する記事を載せていた。だが、娘を人質に取られたゼノフィリウスは恐怖ゆえにヴォルデモート側の圧力に屈していた。ヴォルデモートがハリーを探していることを知っていたゼノフィリウスは、ハリーと引き換えにルーナを返してもらおうと考える。娘を取り戻したい一心で、ゼノフィリウスはハリーの前に立ちはだかり、ハリーが帰るのを阻止しようとする。

‘They [The Deatheaters] will be here at any moment. I must save Luna. I cannot lose Luna. You must not leave.’
He spread his arms in front of the staircase, and Harry had a sudden vision of his mother doing the same thing in front of his cot. (Deathly Hallows 419; ch.21; emphasis mine)

下線部のように、ゼノフィリウスは単に両腕を広げただけである。

ハリーに対し、いわゆる「通せんぼ」の格好をしているに過ぎない。

しかしその姿を見てハリーは母親の姿を連想する。先ほど挙げた無名の母親の引用のように、背後に我が子を隠しているのであれば、その姿からハリーが母親を想起したとしても不思議ではない。

しかし、“spread his arms” という行為だけを目にしてリリーの姿が脳裏に浮かぶということは、この行為と、自らを犠牲にしたリリーのイメージが強く重ねられている証拠であると言えよう。リリーの描写、無名の母の描写、ゼノフィリウスの描写。重要な場面において三度も繰り返されるこの行動が偶然の一致であるとは考え難い。

物語において、「両手を広げて愛するものを守る」という行為は、「リリーの自己犠牲」を思わせるものなのである。
 


6. 首なしの魔法使い像とその正体

 本論第三章において「シリウスとジェームズの特別な絆」について、第四章において「シリウスはハリーの母である」ということを、そして第五章において「両手を広げて愛するものを守るという行動がリリーを示す」ということを論証した。この章にて扱う描写の解釈に必要な材料はすべて揃ったことになる。以下考察に移る。


冒頭で述べたとおり、シリウスはあっけなく死んでしまう。大量殺人を犯したという無実の罪に問われ、ハリーを守りぬくという約束も果たせないままである。しかし本当にそれで終わりなのだろうか。シリウスの死を認められないハリーは、シリウスが幽霊になってこの世に留まるのではないかという期待に一縷の望みを託す。しかし、ホグワーツに住む幽霊の「ほとんど首なしニック」(Nearly Headless Nick)の返事は、“ ‘He will not come back”. . . “He will have go on” ’(Order of the Phoenix 861; ch.38)というものだった。シリウスは、この世に留まることを選ぶ人間ではないというのだ。しかし、大きな心残りを抱えた状態でシリウスは本当に死を選ぶことが出来たのだろうか。


第三巻『アズカバンの囚人』の終盤で、シリウスは「身の潔白が証明されたら一緒に住まないか」とハリーに提案する。そのとき彼はこう言う。“ ‘. . . your parents appointed me your guardian …’ ” (Prisoner of Azkaban 408; ch.20; emphasis mine) ジェームズとリリーは、シリウスを “guardian” に任命したのだ。シリウスは、友を裏切るくらいなら死を選ぶと宣言し、その言葉のとおりジェームズとハリーを命懸けで護ろうとした人物だった。また、ほかの者が危険に身を曝していると思うと、自分がじっとしていることなど到底できない男だった。そのようなシリウスが、ベールをくぐり抜けてそのまますぐに死にきれるのだろうか。ハリーがまさに命の危機に瀕しているそのときに、なんの未練もなく旅立つことが可能だろうか。
シリウスの死の場面には、実は続きがある。シリウスがベールの向こうに消えてしまった後、シリウスを死に追いやったベラトリックスをハリーは追いかける。ベラトリックスを追ってやってきた魔法省のアトリウムで、ハリーはヴォルデモートと一騎打ちの勝負をすることになる。ヴォルデモートがハリーに死の呪いをかけようとしたところである。

“You have irked me too often, for too long. AVADA KEDAVRA!’’
Harry had not even opened his mouth to resist. His mind was blank, his wand pointing uselessly at the floor.
But the headless golden statue of the wizard in the fountain had sprung alive, leaping from its plinth, and landed on the floor with a crash between Harry and Voldemort. The spell merely glanced off its chest as the statue flung its arms, protecting Harry. (Order of the Phoenix 813; ch.36; emphasises mine)

ヴォルデモートの攻撃に対し、ハリーはなすすべもなく動けずにいる。そこで突然生命を吹き込まれたかのように銅像が動き出し、両手を広げてハリーを守る。通常この場面は、首のない魔法使いの像がダンブルドアの力により動かされ、ハリーを守ったのだと理解される。“ ‘What ― ?’ said Voldemort, staring around. And then he breathed, ‘Dumbledore!’ ” (813) 銅像が動いたのを見て、このようにヴォルデモートが叫ぶためである。その後ほかの銅像はダンブルドアのかけた魔法によって動き出す。しかし、この魔法使い像に関してはダンブルドアが魔法をかけたとは文中のどこにも書かれていない。立像が動いたのを見て、それをダンブルドアの仕業と判断したのはヴォルデモートである。この像の行動がダンブルドアの魔法によるものでなかったとしたら、どのようなことが言えるだろうか。


もともとこの像は、魔法省のアトリウムに飾られていたハンサムな顔立ちの魔法使いの像だった。(魔法界においては写真や肖像画の中の人物が動くことが出来る、という設定が存在するが、魔法省のアトリウムに設置されているこれらの像は本来動くことはない。)ベラトリックスがハリーに向けて放った呪文を受けた際に、頭部が吹き飛ばされて首なしになってしまう。首がなくなった時点ではまだ静止したままなのだが、その後突如動き出し、ヴォルデモートの呪いからハリーを護るために自らが盾となる。ダンブルドアとヴォルデモートが闘っているあいだは、ハリーを闘いの場から遠ざけるように後ろに押しやり続ける。以下はすべてハリーを護る像の描写である。

The headless statue thrust Harry backward, away from the fight, as Dumbledore advanced on Voldemort and the golden centaur cantered around them both. (Order of the Phoenix 813; ch.36; emphasis mine)

Dumbledore flicked his own wand. The force of the spell that emanated from it was such that Harry, though shielded by his stone guard, felt his stand on end as it passed, … . (Order of the Phoenix 813; ch.36; emphasises mine)

He [Harry] wanted to cry out a warning, but his headless guard kept shunting him backward toward the wall, blocking his every attempt to get out from behind it. (Order of the Phoenix 814; ch.36; emphasis mine)

この一連の行動において重要な点は、像の目的が、ヴォルデモートを倒すことではなくハリーを護ることにあるという点である。そして何より印象的なのは、ヴォルデモートの放つ死の呪文から、「両手を広げて」ハリーを護るという行動である。銅像は、最後までハリーを護り切る。そしてヴォルデモートが去ったのち、動かなくなる。

“Harry opened his eyes, saw his glasses lying at the heel of the headless statue that had been guarding him, but which now lay flat on its back, cracked and immobile.” (816; emphasis mine)

ここでも、下線部のとおり、銅像がハリーを護り続けていたことが書かれている。



 ベールの向こうへ行く、という特殊な死に方をした人間に、ほんの少しの時間だけこの世にとどまる猶予があるとしたら、きっとその人はどんな方法を使ってでもハリーを助けに来るだろう。そして、両手を広げてハリーの命を救うことで、シリウスは「母」になるのだ。

 シリウス・ブラックは、象徴的な意味において「ジェームズの恋人」であり「ハリーの母」であった。シリウスは若くしてこの世を去ってしまった。しかし、ハリーを護って死んだリリーの如く、ベールをくぐったのち最期にハリーを護ることが出来たのであれば彼は亡き「親友」との約束を果たしたことになる。そう考えると、三つ目の物語の主人公の最期は必ずしも「不幸な死」ではなかったのかもしれない。

 その後に続く場面についても少し触れておきたい。本稿では『ハリー・ポッター』シリーズにおいて生死のルールは厳格である、ということを繰り返し述べてきた。しかしローリングは、登場人物のひとりに以下のような台詞を言わせている。これはシリウスの死後、悲嘆にくれ自暴自棄になっていたハリーに対するルーナの発言である。

 “. . . They were just lurking out of sight, that’s all. . . .” (Order of the Phoenix 863; ch.38)

 ここで言う “they” とは、すでに死んでしまった者たちのことを指す。ルーナに言わせれば、シリウスもルーナの母も、永遠に会えなくなってしまったわけではない。ベールの向こうに隠れているだけなのだ。

ルーナは、未確認生物や超常現象を信じる不思議な女の子として描かれている。その一方で、時に人の本音や正体を見抜く賢さも併せ持つ人物である。

本稿序論において、ローリングは素顔をあまり物語に投影しない作家であると述べた。しかし、ハリーの「代理母」をめぐるエピソードには、ローリング自身の物語が投影されているように感じられる。「代理母」を亡くして自暴自棄になるハリーの描写は、母を亡くして人生における最大の悲しみを感じたという作者の姿に重なる。魔法界という架空の世界において、さらにその中でも変わり者のいわゆる「不思議ちゃん」として描かれているルーナにしか言わせることの出来なかった台詞。

そこには、インタビューにおいて繰り返し母の死を語り続けるローリングの願いが透けて見えるような気がしてならないのである。



<参考文献>

英文

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和文
板倉厳一郎『大学で読むハリー・ポッター』松柏社、2012年。
チータム,ドミニク『成長するハリー・ポッター』小林章夫訳、洋泉社、2005年。
ローリング,J.K.『ハリー・ポッターと賢者の石』松岡佑子訳、静山社、2000年。
――『ハリー・ポッターと秘密の部屋』松岡佑子訳、静山社、2000年。
――『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』松岡佑子訳、静山社、2001年。
――『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』松岡佑子訳、静山社、2002年。
――『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』松岡佑子訳、静山社、2004年。
――『ハリー・ポッターと謎のプリンス』松岡佑子訳、静山社、2006年。
――『ハリー・ポッターと死の秘宝』松岡佑子訳、静山社、2008年。

映像資料
Harry Potter and the Philosopher’s Stone. Dir. Chris Columbus. Perf. Daniel
Radcliffe, Rupert Grint, Ema Watson. United Kingdom, United States, 2001.
Harry Potter and the Chamber of the Secret. Dir. Chris Columbus. 2002.
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban. Dir. Alfonso Cuarón. 2004.
Harry Potter and the Goblet of Fire. Dir. Mike Newell. 2005.
Harry Potter and the Order of the Phoenix. Dir. David Yates. 2007.
Harry Potter and the Half-blood Prince. Dir. David Yates. 2009.
Harry Potter and the Deathly Hallows Part1. Dir. David Yates. 2010.
Harry Potter and the Deathly Hallows Part2. Dir. David Yates. 2011.

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