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好きを仕事に。わたしの場合。

「好きを仕事に」

ここ数年、ひんぱんに語られるフレーズ。

私にも、好きなものなら、いっぱいある。


同居人にあきれられるくらい、飲むヨーグルトが好きだ。コンビニでめぼしい商品を見つけたら必ず試すし、インドに行ったときはラッシーばかり飲んでいた。あのなめらかで豊かな味わいを再現したくて、素焼きの器を大事にくるんで持って帰りもした(余談だけど、インドでは一度使った素焼きの器は地面に投げ捨てていてびっくりした)。自作の飲むヨーグルトづくりにも挑戦している。

飲むヨーグルトがのどを通り抜けていく瞬間は、まちがいなく至福だ。だけど、飲むヨーグルトを広めるためにいっちょビジネスやるぞ!と思ったことはない。


最近ではすっかり縁遠くなってしまったけど、子どもの頃は楽器もやっていた。小5のときにはピアノの発表会で「革命のエチュード」を弾いたし、中学では吹奏楽漬けの毎日を送った。高校ではバンドも組んでいた。何の役にも立たないけど、じつは絶対音感だってある。

音楽にふれる時間は幸福だった。それでも、音楽で生きていきたい!と思ったことはなぜか一度もない。


旅も生きがいだし、写真も狂おしいほど好き。今の私は旅も写真も仕事につなげたいなぁと考えているけれど、学生時代の私には、旅行代理店とカメラメーカーしか思いつかなかった。そしてそのどちらも、憧れはありつつも、自分が働く場所としてはいまいち上手に想像ができなかったのだ。


私が選んだのは、「書く」仕事だった。

職種はコピーライター。

一般的には「かっこいい1行」を書く仕事だと思われているけれど、私の職場に限っていえば、企画の言語化や資料の校正、SNS運用などさまざまな場面で文章を書くお仕事だ。

「そんな職について、書くことがさぞお好きなんでしょう?」と言われることも多い。

だけど私にとって「書く」という行為は、飲むヨーグルトや音楽のような、純粋なきらめきを伴う「好き」とは程遠いのだ。

じっさいのところ、文字を書くという行為が楽しくてたまらない!というわけではない。書く前はいつも苦しいし、書いたあとは「よくがんばったね」と、自分にご褒美をあげたくなる。

私にとって書くことは、酸素のようなもの。

宇宙空間にほっぽりだされたとき、必死で探す酸素ボンベ。吸っても美味しいわけじゃないけど、ないと死んでしまう。


こんな感情を「好き」という言葉であらわすのは、あまりに暗いだろうか?


だけどね、不思議と、書く行為を嫌いになったこともないのだ。

仕事でどんなに理不尽な目にあっても、嫌な思いをしても、そのことに対して辛いと思いはするものの、「二度と鉛筆なんて握らねぇ!」と思ったことはない。

書くことで気持ちのバランスを取りながら生きてきたし、書くことで喜びを増幅させてきた。楽しいも、嬉しいも、恋しいも、苦しいも。全部、書くことで実感できる。

人生初のアルバイトで接客業をしたときは、ほんの数時間で疲れ果てていた。なにが不満というわけでもないのに、帰ってからよく泣いていた。自己肯定感がみるみる下がっていくのを感じた。

だけど、レポートを書いたり、卒論を書いたりすることは1日中続けてやれた。めちゃくちゃ疲れたし、しんどい時期はもちろんあったけど、書く行為には確かな手ごたえがあり、書き終えたときに感じる心地よい疲れは満足感をあたえてくれた。

あまりに無色透明でずっと気づかなかったけれど、どうやら私は「書くこと」が好きらしい。そう気づいたのは、ストレスでにきびまみれになった就活中のことだった。


まったくキラキラはしていないし、消極的な感情だと思われるかもしれないけれど。私には私の「好き」があっていいだろう。

今日も「好き」を仕事に、働いています。

サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。