表現力より、さらけ出し力?

文章で特に感じること。表現力はもちろん大事だけど、それ以前の問題として「さらけ出す」力ってかなり大事だよなと、このところ特に思う。

「さらけ出す」の意味は色々あって、必ずしも「私生活を暴露するすべき」だなんて言いたいわけじゃない。

私の思う「さらけ出し力」の一つ目は、「心のうちで自分がリアルに思ってることを言葉にすること」。ふだんから人に合わせるように話をしていると、これが案外むずかしい。

あと、個人的にもっと難しいと思ってるのが二つ目。「自分がかっこいいと思ってる文章を書くこと」だ。大学のときのレポートの書き方だったり、会社員になってからの資料の書き方なんかを学ぶ中で、「無駄のない」文章を書く訓練はしてきたつもり。まず全体の骨子を作って、段落ごとに言いたいことを整理して、わかりやすい順番で書く。書き終わったら、無駄な言葉を削っていく。いらない主語、わかりにくい接続詞、不要な形容詞を容赦なくがんがん削ぎ落として行く。授業や仕事の場ではそういう文章が適切だし、私も素直に従った。

ところがこれには大きな落とし穴があった。学校や会社で伝わりやすい文章は書けても、いわゆる情感たっぷりの「エモい」文章を書くのがとんと苦手になってしまったのだ。

かっこいいと思う文章は世の中にたくさんある。私の好きなタイプの文章はどれも、「無駄」な言葉であふれている。たくさんの形容詞に彩られ、意味深な接続詞でつながれる。こんな文章が書きたい。物語を紡いでみたい。ところが自分で書こうとすると、無意識レベルでそれを制御してしまう。行間を読ませるような文章が、ぜんぜん書けない。書こうとしても、私の脳内の赤ペン先生が勝手に出動して、どんどん削除してしまう。

先日NHKの番組「プロフェッショナル」で、脚本家坂元裕二さんの特集をしていた。彼はいう。「好きという気持ちを、そのまま好きと伝えたら嘘になる。好き、という文字のまわりの輪郭を埋めていって、浮き上がってくるものが本当の気持ちだ」というようなことを(うろ覚えの言葉ですみません)。私の文章は、「好き」と2文字で終わらせてしまうタイプのものだと思う。ほんとうはもっと、まわりの輪郭を書きたいのに。

結局のところ私は、「まわりに簡単に評価されやすい文章」を書くことだけに意識を向けて、ほんとうに書きたいタイプの文章をさらけ出せないでいるのだ。これだけ毎日書いていて、今更恥ずかしいもなにもないはずなのに。

目下の目標は、小説を書いてみること。それも、思いっきりかっこつけて。


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