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なんのために勉強なんてするの?と聞かれたら

東大には縁もゆかりもないのだけれど、この送辞を読んでぐっときた。

私たちは、ついつい自分が主流派・多数派に属していると思い込むことで安心を得ようとします。

翻って、自分と異なる他者に対しては「変わり者」や「異端」のレッテルを貼りがちです。

一方で、多数派に属しているつもりだった自分が、何かのはずみで突然「異端」の側に立たされてしまうという事態が、いとも簡単に起こりえるのです。

だからこそ、多様性を尊重するということの重要性を、常に強く意識しなければならないのです。

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なぜ人は学ぶのだろう。
なぜ、大学は存在するのだろう。

有名な会社に入るため?
学歴を自慢するため?
モテそうだから?

あくまで個人的な考えだけれど、学ぶことの究極的な目的は「やさしさを身に着けるため」だと思っている。



自分の思う「正義」だけが、ただ一つの正解ではないと心得ること。

簡単に他人を「悪」と決めつけないこと。その背後にどんな環境があったのか、思いをめぐらせること。たとえそれが、「殺人犯」でも「テロリスト」でも。

見方を変えれば、自分も常に「悪」になりうると自覚すること。


どれも口にするのは簡単だけれど、実際にそういう意識で生きていくのは難しい。だからこそ、学ぶことが必要なんだと思う。

生まれもっての性格だけで「やさしく」なるのは難しいことだけれど、知識でやさしさを補うことは可能だ。知識は、私たちの欠けた想像力をおぎなってくれる。実際に感じたことのない痛みや悲しみを追体験させてくれる。自分の知らない価値観を教えてくれる。

他人に対してマウントを取るための「知識」なんてまがいものだ。「知識」は、自分以外の人への想像力を補ってくれるものだと信じている。


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好むと好まざるとに関わらず、多国籍化や移住が進むこれからの時代。来月から始まる令和の世が、「古き良きニッポン」ではなくなっていくのは確かだ。

多種多様な人が共存して暮らす世界が実現したとき、「やさしさ」は、単なる美徳ではなくサバイバルスキルのひとつになる。




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