目に映るすべてをインプットに変える技

なんだか釣りタイトルのようなものをつけてしまったけれど、至極まじめに書くので許してほしい。

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パソコンで日記を書き始めたのは、大学時代にヨーロッパをひとり旅したことがきっかけだった。

はたちそこそこの娘がひとりで旅をすることに対し、両親は反対こそしなかったものの、やはり心配しているようだった。そこで毎日のように日記を書き、Dropboxで共有することにした。

旅のあいだは書きたいことに溢れていた。電車の中やゲストハウスのベッドのうえで、夢中で体験を書き綴った。

隣のベッドの中国人の女の子と、林檎をかじりながら将来について語り合ったこと。ロンドンの街が思い描いていた景色そのものだったこと。美味しかったもの、美味しくなかったもの。なんだって楽しくて、そのどれも忘れたくなくて、頭で考える前にキーボードを叩いているような、ある種、ハイと呼べるような状態がつづいていた。

「書くって楽しい!」と、はじめて素直に思った経験だった。


ところが。


帰国してからも同じように書きたかったのに、いきなり何を書けばいいのかわからなくなってしまった。「書くべきこと」が見つからず、日記くらいなら書けるものの、人に見せる文章は書けなくなってしまった。

残酷なことに気づいてしまった。旅のあいだ、まるで自分に文才が芽生えたかのように思っていたけれど、あれは錯覚だったのだ。「書くべき状況」をお膳立てされていたから、いくらでも書けた。ボーナスステージのようなものだったのだ。

それから長い間、私が人に見せる文章を書くことはなくなった。「書くべきもの」がなかったから。

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だけどこの1年ひぃひぃ言いながら書き続けていて、1つわかったことがある。

「書くべきもの」なんて、いくら待ってたって転がってはいないのだ。

そんなものは幻だった。「これを書くとおもしろいですよ」なんて、誰も教えてはくれない。取るに足らない何かや、日常に埋もれてしまった何かを、無理やり拾って言葉にするしかないのだ。

そんな毎日をどうにかこうにか続けていたら、だんだんと日々のすべてが「インプット」になってきた。苦し紛れでもとにかく書いていたら、「書くべきこと」はあとからついてきた。ほかの人の文章も、過去に読んだ本も、大好きな映画も、つまらなかった仕事も、楽しかったことも悲しかったことも。

特別なイベントなんて行かなくても、偉い人の話なんて聞かなくても、人がひとり生きているその生き様は、たぶんすべてが「書くべきこと」になりうる。

だから、今日のタイトルへのシンプルな回答は、ひたすらに書くこと。それだけだと思う。

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さて、なにやら偉そうなことを言ってしまったけれど、じつはこれ、今の自分への戒めであり盛大なブーメランなのである。

6月の写真バトルに向けて、写真の筋トレと称して日々スマホで撮ろうとしているのだけど、「撮るべきものが見つからない」とつい嘆いてしまう。まだまだ写真の筋肉が足りていないのだ。

書くこともまだまだ力不足だけれど、撮ることの道のりも長い。今は腐らず、撮り続けるしかないみたい。


サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。