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そこに癒しはあるのか?

映画、ドラマ、ゲームなどの製作費が高騰しているそうだ。

一番制作費のかかった映画は、2019年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』で、なんと400億円。

ドラマもバカにならない。Netflixは1話あたり10億円かかるそうで、10話つくると100億円かかってしまうので映画並みである。

映画が高騰する理由の1つは、主演俳優のギャラが高騰していることにあり、「アベンジャーズ」でアイアンマンを演じたロバート・ダウニー Jrは、総額124億円をうけとっているという。

日本映画の製作費は平均で1本5000万円だそうなので、、彼の出演料1本分で日本映画を250本撮れてしまう。

テクノロジーが高騰を生む

高騰の原因がすべて俳優のギャラにあるとは言えない。トイストーリーの製作費を調べてみると

「トイストーリー」 30億円
「トイストーリー2」 90億円
「トイストーリー3」 200億円

となっており、3作目は1作目の3倍のお金がかかっているが、これはギャラでは説明がつかない。たぶん、テクノロジーの発達にともない、それにかわる人たちの件費が膨れ上がったのだろう。

ゲームの開発費も高騰中

これはゲーム業界の事情に似ている。

ゲーム機が高性能化するにつれて、画面も細かくなり、グラフィックデータが膨大になって、製作費も高騰を続けている。

僕の好きな「グランセフトオート5」は287億円かかっているそうで、ハリウッド映画並みであり、しつこいようだがこれ1本を作る費用で日本映画を560本撮れてしまう。ただし、売上が6800億円なので十分にペイしているらしいけど・・。

とはいえ、コケたら会社はつぶれるわけで、1作1作が社運を賭けた大ばくちだ。

インディー系は低予算化

でも、テクノロジーというのは、そもそも人の仕事を肩代わりしてくれるものではなかっただろうか。掃除機が掃除してくれ、洗濯機が洗濯してくれるおかげで主婦の仕事が減ったように、ITが発達すれば人の仕事量が減らないとおかしい。

しかし、テクノロジーの発達につれて、画面の情報量が上がり、人間の仕事も増えて、製作費も高騰しているのが実情らしい。

とはいえ、仕事は減っている面もあることはある。今のテクノロジーで「ドラゴンクエスト1」くらいのRPGを作ろうと思えば、プログラミングだけなら一人でやれてしまうだろう。

実際、その手のインディーゲームも次から次に制作されており、「マインクラフト」みたいに大ヒットするケースも出てきている。

映画も同じで、iPhoneだけで一人で撮影してYouTubeにアップされる映画もけっこうあって、そういう映画の映画賞みたいなのもある。

1人で映画を撮れるようになったのだから、やはりテクノロジーは人間の作業負荷を軽くしてくれていることになる。

ただし、最先端の分野では、作業がラクになっても、それ以上に要求が高くなっていくので少しも楽にならない。簡単に言えば2極化しているわけだ。

画質が粗いほうがおもしろい


さて、ぼくは大作ゲームも大好きだが、インディーゲームも割と好きで、いま気に入っているものが2つある。1つは「Townscaper」。

湖の中に水上都市を作っていくだけのゲームで、積み木のように淡々と作っていくだけなんだけど、それが心地よくて、癒し系建設シムなどと呼ばれている。

癒しの町

もう1つは「Murder House(マーダーハウス:日本語版アリ)」

こちらは、物語の設定がいかにも80年代ホラーっぽい。、しかも画面の解像度がデフォルトで「VHS」に設定されており、わざと粗くなっている。

ありがちなトラウマ・・

画質は「VHS」以外にも選択肢があり、「レンタル」を選ぶとさらに画質が悪くなって、ときどきノイズで画面がゆがんだりするのが楽しい。きれいな画面で遊びたければ「フルHD」にも設定できるが、それでは

ぜんぜんおもしろくないし、ぜんぜん怖くない

のである。これが今日の話のポイントだ。

そこに癒しはあるのか?

昔のカルト映画は、ビデオレンタルされることを前提に作られたわけではないが、結果的には、ビデオレンタルを通じて普及した。なので、ぼくらの記憶の中で、ビデオの画質とカルト映画は、切っても切れない関係にある。

それらのカルト映画がカルト化したのには、ローバジェット特有のゆるさと癒し感があったからだ。このゆるさは、4Kが8Kになったら倍増するというようなものではなくて、むしろ、VHSのようなローテクが似合う。

これは怪談も、ネッシーの写真も同じで、ローテクゆえのゆるさと癒し感がある。テレ東のバス旅もそこがウケたのだろう。

もちろん、製作費が500億円かかるような映画の中からは、これからもすばらしい才能と、おもしろい作品がいっぱい出てくるだろう。しかし、そこにゆるさと癒しが入り込む余地はあるのだろうか。

人間が癒しを求める気持ちは、テクノロジーが発達しても消えないはずだ。そして、癒しはテクノロジーの先ではなく、VHSのノイズやアナログレコードのプチプチ音のようなところに潜んでいる。いわば町中華のようなところに転がっているものだ。

ぼくはカルト映画に癒しを求めているので、レコードは手放せても、VHSビデオは手放せないな、と改めて感じる。

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