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どういう映画を何度も観たくなるか

藤子不二雄『まんが道』を読むと、手塚治虫の超人ぶりがよくわかる。常時5~6本の締め切りに追い立てられて寝る間もないにもかかわらず、そのスキマの時間で映画を見に行く。

あれだけやったら死んでしまうよなあ。

ぼくが映画を盛んに見始めた中学・高校時代も手塚先生はまだまだご健在だったが、彼の超人ぶりが分かるエピソードがある。

当時、先生は『キネマ旬報』という映画雑誌に連載のコラムを書いていた。

ぼくも愛読していたんだけど、あれだけいそがしい先生が「映画は毎年最低365本観る」と決めていたのだそうだ。その徹底ぶりがすごかった。

ぼくがそのエッセイを読んだ前年の暮れには、365本に1本足らない364本で大みそかをむかえてしまったという。

そして、地方での仕事を終えて高速道路に乗ったところで渋滞に巻きこまれた。このままでは帰宅前に新年が明けてしまう。364本のままだ。

そこで、スタッフに急遽ポータブルテレビを調達させて、クルマの中でTVで放映されている映画を観て365本目の帳尻を合わせたそうだ。「あぶなかったよ。めでたしめでたし」というようなエッセイだった。

当時ポータブルテレビなんてめずらしかった。それをスタッフに持ってこさせて高速道路の渋滞の中で365本目を見るという妥協のなさがある意味イカレているというか、激しい人だったことが分かる。

当時はまだツタヤはなかったはずなので、あれだけ忙しい人が年間365本も見ようとおもったら大変だっただろう。

しかしストリーミング全盛の今はちがう。時間さえあれば何本でも見れるので、たくさん見ているということはそれだけ長時間テレビの前にいるというだけのことだ。

ぼく自身は、アマゾンプライムの履歴を確認するとだいたい月9~10本見ているる。それプラスDVDやLDを何本かは見ているのでだいたい12~13本というところだろう。

そうすると年間で120~130本程度。

その中で2度目3度目4度目5度目~の作品もあるので、初めて見る作品は100本前後だ。

でも本数は気にしておらず、それよりもじっくり付き合える相手を探している。初めて見るのはお見合いのようなものであり、ぼくが初めての作品を100本見たとしたら、それは100回お見合いしたようなことでしかない。

そのうちで、わずか数本が「これは2回観るな」とか、「3回観るな」というふうになる。そして2年に1本くらいは「生涯見つづけるかもしれない」1本に出会える。

その基準が作品のおもしろさとはあまり関係がないので、まえまえから不思議に思っていた。

最近見た中では『英国王のスピーチ』や『キャストアウェイ』『最高の二人』などはとてもおもしろかったし、優れた作品だとおもうけどたぶん2度と見ない。

石原裕次郎の『太平洋独りぼっち』もおもしろかったけど2度と見ない。

レッドフォードの『さらば愛しのアウトロー』は2回で満足できそうだ。チャールズ・ブロンソンの『ブレイクアウト』はたぶん3回は観るだろうが、4回目は飽きるだろう。こういうふうにだいたいわかる。

ロバート・アルトマンの『ザ・プレイヤー』はすでに3回観たけど、これからも何度も見ることになりそうだ。川島雄三の『幕末太陽傳』は初めて見たけど4~5回は見ることになりそうな気がする。

ただし、見直す回数は、おもしろさとは別の基準で決まっていて、それがなんのなのか自分でもよくわからない。なので最近いろいろ考えていた。

たぶん「よくわからない」ということが大事なのだとおもう。ネッシーもUFOもよくわからないから魅せられる。あの感じだ。

『フィールド・オブ・ドリームズ』なんてのは、すでに5回以上は見ているけどそのたびにあらたな疑問が浮かぶというか、消化できないところが残るし、見終わった後に不思議な余韻がただよう。

そうすると、またみてしまうのだ。

『インターステラー』は3回は見るとおもうけど、魅せられているのではない。単に要素を盛り込みすぎなので、3回も観たら因数分解が終わるだろう。

『シャッターアイランド』は、確実に5回以上は見てしまいそうだ。あの独特の病んだ感じに惹かれており、それを見越してすでに北米版『Shutter Island』を購入してしまった。でもこの作品が『英国王のスピーチ』や『キャストアウェイ』よりもすぐれているとは思えない。

でも、ぼくにとってはおもしろい作品を何百本見るよりも、生涯くりかえして観たいとおもえる1本に出会うことの方が貴重だ。

ただし付き合い方は人それぞれで、手塚先生もおそらく1回観れば十分というタイプだろう。アタマのイイ人はそうだ。一方、ぼくは優れた人に1回会うよりもヘンな人になんども会いたい感じなのだとおもう。

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