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そもそも「アマゾン」という名前が怪しい

ぼくは最近やたらにPrimeビデオの宣伝をしているような気がするが、もちろんアマゾンからは1円ももらっていない。こういうのがぞくにカスタマーアドボケイトなどとよばれている連中である。

カタカナにすると大げさだがに「勝手に宣伝する人」ということで、まあよくあることだ。

実家の近所に知る人ぞ知るカレー屋さんがあり1981年からずーっと人気の店である。全国区で勝負できる味と内装をほこる。

今年の夏にそこにぼくは友だちを引っ張っていってごちそうした。そして食べ終わってから「たしかにおいしいな」と言わせて満足したのだった。こういうのがアドボケイトである。口コミのちょっとエスカレートしたやつだ。

しかしカレー屋さんはともかく、アマゾンは世界的な超巨大企業であり、勝手にファンになるには大きすぎる。去年も組合問題などいろいろもめていた。組合を結成しようと運動した人の考えもラジオでじっくり聞いたし、もっともなことだと思う。

彼女だけじゃない。ぼくだって純粋に部外者だとあなたは決めてかかっているかもしれないが、それはいささか早急すぎるのではないだろうか。かといってべつに内部者だといっているわけではない。あくまで仮定の話として、ぼくが純粋な外部者だと頭から思い込むのはネッシーがいないと頭から決めてかかるのと同じことではないだろうか。

ぼくがPrime Videoを無邪気に楽しんでいるのを見て「巨大企業の裏側なんかなーんにも知らないお気楽なやつだな」と思うのは、ネス湖にいったこともないくせに「あんなものいないに決まっている」というのと同じではないだろうか。

だからといってネッシーがいると言っているわけでない。ぼくも内部のことはまったく知らない。

かりに多少は内側を知っている人がいたとして、それでもPrime Videoを楽しんでいるならば、そこにはひそかなアンビバレンツ(愛憎)があるのだろう。なんだか恋愛ドラマみたいだなあ。しつこいですが仮定の話ですよ。

で、ここからは仮定ではなく、実際の話である。ぼくは日本のアマゾンができるだいぶ前からアマゾンを使っていたし、応援していた。

90年代後半に中古の洋書をよく注文していた。それまでは洋書はと高い金を出して洋書屋から買うか自分で渡米して箱詰めにして船便で送るしか手がなかった。

それがクリック一つで買えるのである。パラダイスである。ただし当時、周りの人がみんなそう思っていたわけではなくほとんどは懐疑派だった。

まず「アマゾン」という名前が熱帯のジャングルみたいで入ったら抜けられなくなりそうな怪しさがあった。

しかも、クレジットカード番号をネットに入力するなんて「そんなあぶないことができますか」という声もあった。「アマゾンは赤字なんですよ!」とも言われた。

そんなときに海の向こうからクリスマスのプレゼントが届いたのである。マグカップが入っており、今風のふたがしてあるやつで口がすごくちっちゃい。そしてベゾスの名前でレターが入っていて応援ありがとうと書いてあった。当時は、顧客全員にマグカップをくばるような感じだったのだ。

ちなみに、ああいう口の小さなマグカップは見るのが初めてだったので松田優作みたいに「なんじゃこりゃ?」と思ったものである。ためしに使ってみたが口が小さすぎて舌をやけどするので1回しか使ってない。

なぜあんなヘンな形をしているのかは、それから数年後、何度もキーボードにコーヒーをこぼした後でやっと気づいたのである。さすがシリコンバレーだ、進んでる!と。だが、そのときはすでにアマゾンのマグカップはどこかに行ってしまっていた。とっておけばよかったよ。

とどいた本の表紙が食いちぎられており「犬が食いちぎりました。気に入らないなら返品を」と書いたメモが挟まっていたこともある。その本はいまでも愛読している。

そんなこんなでいまはタダ同然で映画を見ておりは、ベゾスは月の住人になった。かりにぼくみたいな人がほんのちょっと内側を知っていたとしたら今はたしてどう感じるのだろう?たぶん無邪気にお勧めしているのではないかなあ。ならば今と変わらないわけである。

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