見出し画像

自分を大事にする人は他人も大事にする

マメについての考え方が変わった

このnoteについてぼくがいつも感謝している人たちがいる。

ほとんどの記事にスキを押してくれている人や、告知のツイートを全部リツイートしてくれている人。つまり、ほんとうにマメに付き合ってくれている人たち。

ありがたいとは思っていたけど、そのマメさの本質を今日の今日まで理解していなかったかもしれない。よく「マメな人はモテる」というけど、つい最近までその本当の意味を分かっていなかった。

でも、ここ数日、マメさについての考え方が変わったきたので、いまはちょっとわかる気がするのだ。なかなかうまく言葉にならないけど、何とか言葉にしてみよう。とても大事なことだから。

寄付から得たもの

これまでぼくは、マメな人=律儀な人だと思っていた。

義理チョコをきっちり送るタイプというか年賀状をきっちり送るタイプだ。でもどうやらマメと律儀はまるで違うとわかった。

そのきっかけは、あるイベントにちょっとした寄付をやったことにある。この記事の最後にちょっと書いたやつ。

金額的にはわずかなものなんだけど、そのわりには手間がかかった。でも、たぶんそれがよかったのだ。マメさとは、たぶん「ひと手間かける気持ち」だから。

今の時代、大金を寄付するのに手間はかからない。昭和のころに1億円寄付しようと思ったらジュラルミンケースや現金輸送車が必要だったかもしれないが、今ならクリックするだけだ。

ぼくも少額の寄付を自動引き落とししているんだけど、年明けに確定申告の準備をするとき以外はそのこと自体を忘れているので何も感じない。

しかし、今回の寄付は逆で、金額はいらないけど、ちょっと気持ちを入れなければならないタイプのものだったので、それがよかった。

ふつう、寄附って「出すだけでもらわない」ものだ。そして今回もそうだと思っていた。上の記事でも、

得られるものはなにもないけど仁義でやっている

などとイキっていたんだけど、昨日あたりから、なにかをもらったような感じがしてきたんだよな。最初は気のせいかと思ったんだけど、今日はその「何か」が行動の変化になって表れたのでまちがいない。あげたつもりが、もらっていた。

マメと律儀さはちがう

具体的に言うと、今日はこれまでのびのびになっていた連絡をやった。そのままやらずに終わったかもしれないようなことだったけど、手間と時間をかけてしっかりやった。

これは、ぼくの中で「マメさ」についての考え方が変わったからだと思う。そしてこれが、もらったものの正体だ。「マメさと豊かさの関係」についてちょっとわかってきた。

つまり、マメでモテる人がなぜあんな風にマメなのかがちょっとわかってきたということなので、これは大きなことだ。

マメとは律儀とは違う。マメとは

自分を大事にするように他人を大事にしている

ということだと思う。それがわかったので、行動が変わったのである。

マメを「丁寧」という風に言い換えてみよう。

自分を丁寧にケアしている人は、他人のことも丁寧にケアするということだ。逆に言うと、自分を雑に扱っていると、他人のことも雑に扱うようになる。

一方、日本にありがちな「律儀」というのは、このどちらでもなくて、他人に気を使いつつ、自分を雑に扱っている。そうやってお互いの首を絞めあって疲れているのが日本社会だ。かんたんにいうと、人目を気にしてマスクを外さず熱中症になるようなこと。

これまでぼくも

同調圧力の中で律儀にやっている人 = マメな人

と思いこんでいたんだけど、どうやらちがう。

本当にマメな人は自分を大事にし、その分、他人も大事にしている。だから人を大事にする気持ちに無理やごまかしがないから好感を持たれるのだ。

ところで、ぼく自身は、かなり前から律儀さを避けるような生き方をしており、意識的に同調圧力を避けて生きてきた。

義理チョコいらない・・
誕生日プレゼントいらない・・
暑いからマスク外しちゃうよ・・

である。息苦しい日本の中では多少ぞんざいに振る舞わないと頭がおかしくなるので、これはこれで正解だといまでも思っている。

しかし、意図的に雑な態度をとっていると、知らず知らずに自分のことにもかまわなくなるというか、自分を雑に扱いがちになるんだな。そういう面はたしかにあったし、今回そのことに気づかされた。

丁寧に書く

たとえば、有機野菜を栽培している農家が、毎日カップラーメンを食べるってことはないでしょう。他人にいいものを食べさせようとすると、じぶんでもいいものを食べるようになる。人に良いものを提供している人は、自分のことだって大事にする。

逆もそうで、毎日カップラーメンでいいと思っていると、他人のこともカップラーメンみたいに扱いがちだ。

情報も同じで、質のいい情報をインプットしているは、他人に対しても質のいいアウトプットを提供できる。逆に、ジャンクフードみたいな情報ばかりインプットしている人って、他人に対しても雑な言動に出るのである。

それがわかったから、今日は質の良いコミュニケーションをとりたくなってきたのである。もちろん、丁寧にコミュニケーションしたからといって相手に伝わるとは限らないんだけど、でも、それでもいいんじゃないかと思えたのだ。

このnoteもおなじで、丁寧に読んでくれている人もいれば、流し読みしている人もいるし、バカにしながら読んでいる人もいるだろう。

でも、ぞんざいに扱われると思ってぞんざいなものをアップしていたら、それは自分を雑に扱っているのと同じだ。だから、丁寧に読んでくれる人をイメージして、そういう人に向かって丁寧に書く。

他人をケアすることは、結局、自分をケアしているのと同じだと肌感覚でわかってきた今日この頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?