まことにありがたい話
トルストイの隣人愛
たしかロシアの作家トルストイがどこかで
みたいなことを言っていた。有名なことばだと思うんだけどトルストイ名言集のようなものをネットで検索しても出てこない。でもトルストイだったのはまちがいない。
なのでうろ覚えなんだけど、こまかな表現はちがっているとしても、ポイントは合っているはずだ。「理想を語るのは簡単だけど、それを日常に落とし込むのは容易なことではない」ということ。
教会で神の愛を説いている牧師さんだって、家に帰ればおかずのことで奥さんともめているかもしれないし、イエス自身だって、水の上を歩いた後でトイレに入ろうとしたら先に弟子が入ったので
としたことはあったかもしれない。
あるお寺での実話
じつは、ぼくもこの手の実話を持っている。有名なお寺の話なので名前は伏せるけど、なかなかいい雰囲気のお寺で、近くを訪れるたびにお参りをしていた。
いくたびにありがたい護摩の灰を買ったりもしているんだけど、あるとき本堂に入ろうとしたら、入れ違いにヤクザの親分みたいな人がどなりながら出てきたのだ。
すごい大声で
みたいな感じのことを言っていた。本堂に入ると初老のおばちゃんが引っ込むところだった。
出ていった男性はでっぷりと太って頭はツルツルで革ジャンを着ていたので、やくざの親分に見えたんだけど、それはともかく本堂に入るといつものイイ空気が漂っている。正確に描写すると
のである。ビリビリというのは気持ちのいい気合みたいなものがみなぎっているわけで、電気風呂の弱い奴みたいな感じかな。
本堂に入らなくても、門をくぐったあたりからビリビリくることも多いし、そもそも最初に門をくぐったきっかけは、そのビリビリに惹かれたのだった。15~6年前のことで、以来、いついっても空気がビリビリ張り詰めている素敵な場所だ。
エライ人でも夫婦喧嘩はする
やくざの親分といれちがいになったその日も、いつもどおりに靴を脱いで本堂に上がり、ご本尊に手を合わせてから、無料のリーフレットをもらって帰った。
リーフレットの表紙には、そこの有名な大僧正が護摩を焚いているありがたいお写真が掲載されている。中身はその大僧正が予言した今後数年の未来予想みたいなものだ。ぼくはそれを毎回ありがたく参考にしていたのである。
で、そのありがたい大僧正が、さきほど入れ違いに出ていったやくざの親分だったのである。
とはおもったのだ。それに「かぁってにしろ!」の「かぁっ」のところに
喝!
の「かぁっ」みたいな裂ぱくの気合が入っていたので、今思えばご住職で間違いない。どうやら夫婦げんかの最中だったみたいだ。
ありがたい護摩
しかし、大僧正が夫婦喧嘩したからといって護摩がありがたくなくなるわけではない。そもそも護摩を焚き続けるってのはたいへんなことで、しかもあれだけ有名な大僧正になると、ホントにすごい。
ビリビリした空気が門のところまで漂っているくらいだから、すごくないわけがないのだ。本物の人類愛がこもった護摩の灰がたったの500円ですよ。ああ、ありがたや。
これはひとごとではない
しかし、それくらいの霊力をみなぎらせている大僧正でも、「かぁってにしろ!」と夫婦喧嘩をすることはあるわけで、まことにトルストイの言うとおりなのである。
これはひとごとではなく、ぼくも神社にお参りするときには「大地震が来ないように。みんなが幸せでいられるように」と本気で祈っているけど、うちに帰ったら隣の騒音でイラついたりする。
神社で祈った「みんな」には、隣の住民は入っていないのだろうか?と自分でも不思議だ。
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