「人を見たら泥棒と思う」人は気の毒
かつてコンビニでバイトしていたときのことだ。その店は繁盛しており、基本的には3人体制で回っていた(深夜は2人)。
シフトに入れば他の2人と7時間くらい一緒になるのだが、一緒に働くのがいやな2人組と楽しい2人組がいて、ぼくから見れば、人間はだいたいこの2つのタイプに分かれる。
どちらも、女性たちだった。
楽しい2人は、一人が5歳くらい上で、おおらかで親切。もう1人は高校生で、根がまじめでかつピュアなところがあり、この2人で組むと時間はあっという間に過ぎた。
一方、イヤな2人は、どちらも10歳以上年上の女性たちだったのだが、性格が似ており、二人で結束していた。
ぼくは初心者だったので、この2人にアゴで使われては、嫌味を言われた。今はやりのパワハラというのはこういうものかもしれない。
あれだけ小さなことでコツコツと人をいじめれば、自分もみじめになるのでふつうはやれない。人から虐げられてきた人生が透けて見えるようで、なんだか気の毒に感じていた。
そういう態度が透けて見えてよけいに嫌われたのかもしれないけど。
「気の毒」の意味
コンビニでそういう目に会っていた頃は、もうぼくも30代半ばで、すでにいろんな人に出会い、とりわけ
とも出会っていたので、その2人組に影響は受けていない。しかし、若い頃からずっと、ああいう人たちに囲まれていれば、ぼくもあんな感じになっていたかもしれないと思うので、気の毒なのである
ガンジーとヒトラーは似ている
「ものすごい人に出会った」と書いたけど、ものすごい人とは、決して善人ではない。イエスや仏陀のようなタイプではなく、いわば、
というか、
感じの人である。ぼくのせまい経験から言わせてもらうなら、すごい人の中には
タイプの人がいる。というより、ガンジーとヒトラーは元々似ているのである。
ガンジーとヒトラーの共通点
ガンジーとヒトラーの共通点は、二人ともやや常軌を逸している点だ。それが悪いほうに転がればヒトラーになり、善いほうに転がればガンジーになる。その差は運命のあやだというのが、人に対するぼくの見方だ。
2人にはもう1つ共通点があり、それは
ということ。ガンジーがコソ泥でないのはもちろんだが、ヒトラーだってゲッペルスの財布からマルク札を抜いたりしていないだろう。そこらの小悪党とは違う。とはいえ、いい人ではない。
逆に言えば、
などとは思っている人たちは、それまでガンジーにもヒトラーにも会ったことがなく、小悪党に囲まれて生きてきた人々だといえる。
ほんとうの悪というのは、そんなショボいものではなく、ものすごく才能のある人が道をあやまるとヒトラーみたいになる。
SNSも似ている
SNSの誹謗中傷を見ていると「人を見れば泥棒と思え」と似ていると感じる。誹謗中傷は、ほぼすべてが「有名人を泥棒みたいに言っている」だけである。
みたいなことで騒いでいるが、相手はガンジーかもしれないし、ヒトラーかもしれないのだ。それをコソ泥と断言しているあたりの想像力がさもしい。きっと、これまで小悪党に囲まれて生きてきたのだろう。
できれば出会いたくはないが、気の毒に思う面もある。
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