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人の役に立っている人は生活に困らない

たぶん、この世の中というのは、人の役に立っている人は、なんだかんだいって生活に困らないようなつくりになっているのではないだろうか。世の中にはそういう法則があるのではないか。

しかし、これまでは例外もあると思っていて、その証拠が自分だと思い込んでいた。ぼくは人の役に立っていないにもかかわらず、悩みもなく、生活苦もなく、楽しく暮らしている。

知らないうちに役に立っている

しかし、最近になって、

どうやら自分は気づかないうちに人に役に立っているらしい

ということにだんだん気づいてきたのである。ということは「世界の法則の例外ではなくなる」ということであり、どうやら

困らない人 = 人の役に立つ人

というのが、宇宙の法則なのではないだろうかと思い始めている。気づいたきっかけはいろいろあった。

やさしさではなくおせっかい

まずは、人生の後半になってから親しくなった人たちと飲みに出かけて、なんとなく自分の前半生を語っていると、そこであらためて

けっこう役に立っているな・・

ということに気づいたのだ。聞かれないと気づかないあたりがアホであることは言うまでもない。しかし、役にたっている人というのはだいたい「役に立ちたい」と思って役に立とうとしている人でありましょう。

しかし、意識せずに役にたっているタイプもいて、それが自分のような奴である。そもそも人の役にたとうという意識がないので、役にたっていることにも気づかない。

プライバシーにかかわるのでここには書くことはないとおもうけど、思い出してみれば、客観的には、人のために仕事を捨てたり、命を危険さらしたりもしてきた「らしい」のだが(他人事みたいだけど)人のためとは思っていなくて

捨てておけない

という病的なおせっかいである。それが人の役に立っている場合に、まわりまわって結果的には生活に困らない人生になっているらしい。

たとえば、こないだ「自分は、地球の警備員みたいな気持ちで生きている」という文章を書いたのだが、あれも考えてみれば実におせっかいな話である。しかし、

自称「地球の警備員」っていらぬおせっかいなんだけど、世の中の役に立ってる場合もあるかもしれない

ということに気づいた。ただし、意識して「人の役にたとう」と思ってやっているのではなくて、基本的には

・かなりおせっかいな性格で
・わりに度胸があり
・考え方が変わっているから

やっているにすぎず、やさしいから人の役に立っているのではなく、おせっかいだと、たまに人の役に立つこともあるということだ。

いつも役に立つとはかぎらない

ぼくは余計なことを言って人を怒らせるタイプなのだが、これもやさしい人なら口に出さないようなことを平気で言ってしまうからであり、なんで口に出して言ってしまうかというと、

・放っておけないので
・思い切って口に出してしまい
・その内容がヘンである

からであり、よかれと思って相手を怒らせているわけだが、これも見方を変えれば人の役に立とうとして失敗しているということになるのではないか。

お金って何だろう

最近そのことを確信した出来事があり、以前からそれほどお金に困ったことはないのだが、最近、さらに困らなくなっている。

親しい人にはだいたい気づかれてしまっているんだけど過去1年くらいいわゆる「労働」はやっていないが、金儲けはやっている。労働と金儲けのちがいはどこにあるかというと、

労働は人の役に立つけれど、金儲けは人の役に立たない

という風に思いこんでおり、ここ最近、ぼくは金儲けしかやっていないので人の役に立っていない。そして、なぜこれでなんとかなっているかというと、しばらく前までは

自分がかしこいから

だと思っていた。しかしよくよく考えてみれば、ぼくはかしこくなくて、周りにかしこい人が多くて、その人たちになにかと助けられているから、労働をせずに済んでいるのだと最近気づいたのだった。

そしてなぜ、かしこい人にいろいろ助けてもらえるかというと、たぶん「変人のおせっかい」がイイほうに転んだ場合にはどうやら、まわりまわって助けてもらえるみたいなのである。

自分がかしこいから生活に困らないのではなく、かしこい人や豊かな人におせっかいをやいているうちに、その半分くらいは人の役に立って、それがどうやら労働の代わりなっているらしいんだな。

こう考えてみれば、この世というのはじつにおもしろくて、不思議なものである。

他人の役に立つこと

そして、このnoteも自分では役に立たないようでいて役に立っているという矛盾した思いで書いているんだけどこれはどうやら

自分の役に立つものを読みたい

という人の役には立たないけれど、

人の役に立ちたいと思っている人にはなにかしらヒントになっているのではないだろうか。ぼく自身は

人の役に立ちたいなんてへそで茶がわくぜ

くらいに思って生きているのだが、しかし「お前はおせっかいか?」と問われれば

もう病的におせっかいなんですよ~

というくらいのものである。「人の役に立つ」のと「おせっかい」とどうちがうのかというと、前者はやさしさであり、後者は

とにかく気になるのでほっておけない・・

ということでやや違うのだが、結果的には50%くらいの確率で人の役に立っているので、そのせいで、生活の困らなかったり、労働しなくてよかったりしている。

豊かさを得たいならおせっかいをやけ

そうすると、いま生活に困ったりお金に困ったりしている人には、稼ぎ方のノウハウを学んだりするよりもとりあえず

他人の役に立て!

・・などとは口が裂けても言えないが

いらぬおせっかいをやけ

ということは自信を持って言える。いらぬおせっかいは50%感謝され、のこりの50%は腹を立てられるので、やさしさはいらないが度胸がいる。

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