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時計の針を戻してはいけない

ウィキペディアによると「復古主義」とは、

現在よりも過去の方が優れていると考え、その当時の状況に戻すことにより社会がより良くなる事から復古させようという主義。

なのだそうだ。

ちょっと整理しておきたいんだけど、「歴史から学ぶ」とは、やたら過去をありがたかることではない。どちらかといえば過去のあやまちから学ぶことを意味する。悲惨な歴史を繰り返さないようにすることである。

過去を美化する心理は、ノスタルジアと呼ばれる。ノスタルジアには、個人的ノスタルジアと集合的ノスタルジアがある。「昔はよかった…」とか「こう見えて昔はワルでね…」などと言い出すヤツがいるけど、これが個人的ノスタルジアだ。昔のことは美化してしまいやすい。

もちろん昔はいいこともあった。ぼくがこどものころ、夏はここまで暑くなかったし、ネットやスマホがなくてのんびりしていたし、近所づき合いが多かったのは事実だ。

だが、いやなこともたくさんあった。体罰が横行していたし、国会議員になれるのはその息子だけだった。排ガスがひどく、LGBTは生涯隠し通さねばならなかった。

そして、個人的ノスタルジアよりも厄介なのが集合的ノスタルジアだ。これは、自分が経験したことのない時代にたいする郷愁であり、過去の時代が過剰に美化される。

しかし、理想の時代などありえないことは、家庭を考えてみればすぐわかる。「あなたの家庭は理想的ですか?」「この世のどこかに理想的な家庭がある/あった、と思いますか?」と聞かれれば、答えはどちらもノーのはずだ。人間に欠点がある以上、家庭に欠点がないはずがない。家庭は社会の最小構成単位である。

もちろん、江戸時代には、現代にはないよさがあっただろう。縄文時代にも、ネイティブインディアンの生活にもぼくらにはない智慧があったはずだ。しかし、どの社会もぼくらにはない問題を抱えていたはずであり、理想的だったわけではない。

過去の知恵は現在に生かすものであり、現在を否定するためにあるのではない。白人中心の世界に戻すとか、美しい日本を取り戻そうとかいう後ろ向きの発想から、創造的な未来がひらけるはずがない。ラッダイト運動(工場機械の破壊運動)で雇用が戻ることはない。時間の流れにバックギアはない。歴史上、復古主義が成功したためしはなく、このことこそ、歴史から学ぶべき第一のことだ。

復古主義でどうにかなると考えるほど、ぼくは楽観的な予測をしていない。ほとんどあきらめている。それでも道は前にしかない。

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