どの世代にもヘソはある
人は生まれ育った土地の影響もずいぶん受けるが、生まれ育った時代の影響もずいぶん受ける。
西側先進国の区分に沿って分けるなら、ぼくは「X世代」とよばれる世代に属している。
ぼくの世代にも「へそ」のようなものがあったのでその話をしたい。Z世代にもかならず「へそ」はあるはずで、気づくか気づかないかだけだ。
さてX世代とは、
その上の世代は、ベビーブーマーと呼ばれる。ベビーブーマーが影響力を持った時代は社会運動の時代だった。
それに対してX世代は、「個人主義と内向性を特徴としており、政治や社会に対して冷めている傾向が強い」。
次にくるミレニアル世代が、理想主義的(環境保護主義や国際協調主義、リベラル傾向)なのとも対照的だ。
日本では「新人類」というのがX世代に近いが、これはかなりバカにした言い方であり、いまZ世代がバカにされているように、ぼくらもかなりバカにされていた。
評論家の竹熊健太郎によれば、「オタクと新人類は同一のもの」だそうだ。つまりこの世代は全体がオタクなのである。
連続幼女誘拐の宮崎勤元死刑囚が逮捕されたとき、教師から
といわれたが、まあ当たっているだろう。
そしていま「5080問題」という引きこもりの高齢化が深刻化している。50歳の引きこもりとは新人類世代であり、われわれはいつまでたっても社会のカスなのだ。
もちろん、Google、Yahoo!、テスラなど、巨大IT企業はこの世代が創業したものが多いのも事実で、あのころ僕らの盛大をバカにしていた上の人たちもいまではGoogle先生に頭が上がらない。
しかしまだまだバカにされコケにされていたころ、そんなオタクな新人類クリエイターが集まって一本のアニメが作られている。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)だ。
ぼくはこの作品に激烈な(という言葉では表せないほどの)影響を受けているのだが、それはアニメとして優れていたというようなレベルの話ではない。
これはぼくらの世代にとってのへそのような作品だった。この作品には世代のナマな声が集約されていた。作ったのは、若き製作集団「ガイナックス」である。
当時、僕らの世代がまだ海のものとも山のものともわからず、どちらかといえば海でも山でもなくクズだと思われていた頃に、世代の才能を集約した声を上げたのが「ガイナックス」だった。
そのころ、僕の大学の師匠だった人からは、ぼくの世代についてさんざんこきおろされた。だが、ぼくはかろうじてこう言い返したことがある。
それに対して彼からの答えは
である。
今にして思えば、この会話をしているころすでにガイナックスでは庵野秀明氏を中心に『新世紀エヴァンゲリオン』の企画が進行中だったわけだが、そんなことは知るすべもなかった。このやり取りの意味に気づいたのはずーっと後のことである。
ところで、『オネアミスの翼』は、日本のアニメとしてはそれほど世界に影響を与えていない。『AKIRA』にも、『君の名は。』にも、『千と千尋の神隠し』にもおよんでいない。
当時制作に携わったオタキングこと岡田斗司夫氏は、「オネアミスの翼の悪口は絶対に許さん」と言いつつ、「自分だけは言っても許される」として、作品の短所を語っている。
しかし、ぼくが世代のへそを感じるのはまさにその微妙さなのだ。作り手がまだ大人になりきっていなかったからこそ、本音の声が伝わってきた。
わかりやすければ時代の「顔」になるけれど、わかりにくいのが「へそ」たるゆえんである。この作品には巨費が投じられたが、美女も出てこないし、巨大ロボも出てこない。オネアミスの翼には、
というきっぱりとしたメッセージがあった。
ストーリーは、「無気力な若者たちがひょんなことから人類初の宇宙ロケットを打ち上げる羽目になる」というものである。ガンガンにがんばって打ち上げるのではなく、ひょんなことからそういう羽目になるだけだ。その感覚に世代の声があった。
一方の『エヴァンゲリオン』は美女とロボなので、ガイナックスもすっかり大人になっているといえる。その前に青臭い『オネアミスの翼』があってぼくは助かった。
『オネアミス』の続編映画『蒼きウル』というのが作られるとか作られないとか噂が立ち始めてずいぶんと経つ。1992年には企画に上がっていたそうだからはや30年である。『蒼きウル』が公開される日は、いつの日かやってくるのだろうか、それとも永遠にやって来ないのだろうか。
さて、どの世代にもへそはある。あるかないかは問題ではなく、いつ気づくかだけだ。Z世代のヘソのようなもののそろそろ出てくるころだろう。なるべく早めに気づきたい。
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