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定年退職した、航空管制官だった父のこと。

今年の3月で、父が40年ずっと勤め上げた仕事を定年退職した。

といっても、再雇用という選択をしたので
まだまだ働き続けるのだが、

まあひとまず、区切りみたいなものかな。

お祝いは、子ども3人でサプライズを計画し、
母が何も知らない父をレストランに連れていき、
そこで待ち構えていた家族にびっくり…というもの。

プレゼントはマフラーと、これまでの家族写真で作ったスライドショーをあげた。
恥ずかしがり屋の父だけど、多分、喜んでいたと思う。

私の父は、航空管制官だった。

「こうくうかんせいかん」ってどれくらい認知されているんだろう。
私が航空管制官の娘じゃなかったら、たぶん知らないと思っていたので、
お父さんの仕事について聞かれたときは、
「航空関係です」と答えていた。

一応説明しておくと、
航空管制官とは
飛行機が安全に離着陸するために
「管制塔」という所でパイロットと無線でやりとりする仕事。

子どもの頃から今までずっと、
「航空管制官」というお父さんの職業がかっこよくて、自慢だった。

すごく小さいころに管制塔にも連れて行ってもらったことがある。

ほとんど覚えていないけれど、
眺めが良くて、滑走路を見渡せて気持ち良かった。

けれどやっぱり、
私が好きなのは
管制塔からの眺めでも飛行機でもなく、
仕事をしているお父さん、仕事を誇りに思っているお父さんそのものだったのだと思った。




ごくたまに、空港でトラブルが発生する。

ニュースで報道され、警察が事情聴取に来て。
そんな日は、お父さんは帰ってこなくなる。

「今日お父さん帰ってこれへんかもなあ」
そう言ってカーテンを閉める母を見ながら、

まだ子供だった私は、

(お父さんは逮捕される)
そんな不安を抱えて、暗い気持ちになった。

※現実にはならなかった


仕事はシフト制で、

朝早く行くときもあれば、お昼から出勤することもある。
休みもバラバラで、
平日が休みのときは、
学校から帰るとお父さんが待っていた。

夏は喉をカラカラに乾かした私に麦茶を注いでくれて、
まだ飲む?と聞いてくれる、優しいお父さん。

「子供のおやつ」に対する概念が柔軟で、
よく冷凍のお好み焼きやたこ焼きを出してくれた。

友達には少し、びっくりされた。

学校に行くのが嫌いだった私はずる賢く、
お父さんが休みの日を狙ってよく仮病を使った。

しかし「作って遊ぼ」に感化され、いてもたってもいられなくなり。
「風呂敷出して!!お父さん!!」と荒々しく指示をする私を見て、
ずる休みと察していたかは、今はもう定かではない。

なんにせよ、お父さんが家にいる日は帰る足取りが軽かった。 



大学生になって、進路に迷ったとき、
航空管制官になろうかな、と思った。

男女差が無く、
結婚しても、出産しても、働き続ける女性が多い職業だからだ。

しかし結局、

気の小さい私には
人の命を預かる仕事はムリだ、と考えて辞めた。

「ミスがあったら?」

そう考えると
夜も眠れなくなるに違いない。

そうか、

お父さんは優しい人だと思っていたのだけれど、

優しくて、強かったんだ。

家族を背負い、
乗客の命を背負い、

愚痴を吐かず、

ただ淡々と仕事に行き。

「お父さんは管理職になれないよね~」
そんな風に家族から笑われながらも、

職場の同僚について楽しそうに話すお父さんは
きっと愛されてそこにいるのだろうと、

私たちは知っていた。

40年、

色んなことがあったのだろう。

私には知り得ない、色んなことが。

お父さんの40年に、敬意を込めて。

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