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禁酒法の歴史から学ぶ、これからのお酒業界

「アルコールの提供はしていません。」

いったい誰が夢にも見たであろうか。

自由にお酒が飲めない世の中を。

政府の発表によって、苦しむ飲食店の悲鳴がSNSを開くたびにわたしの目に入ってくる。

宣言の後、すぐにメールで取引先から連絡が入った。

「すみません。ご承知かと思いますが、来週納品予定のお酒ですが一度配送をキャンセルさせてください。」

店長のやるせない悔しそうな顔が浮かび、ただ「はい、かしこまりました。早く元通りになることを祈ります。」とだけ返した。

そしてその1ヶ月後。

店長からお店をたたむとの悲痛な連絡が入った。

自分の無力さに腹が立ったし、不公平な世の中に苛立ちも感じた。

感染病の拡大≒飲食店での飲酒という小学生でもつくらない公式が正解への近道だとでも言わんばかりに世の中に大きく、そして強い影響を与えた。

自らの正義を押しつけて、苦しむ声には耳を傾けることもない。

もう限界だ。

黙ってこの騒動が過ぎるのを見守るだけの、観客でいるのはやめよう。選手として戦うんだ。

お酒の席がなくなったことの弊害は大きい。

偶発的に起こる出会いから、わたしはたくさんの刺激と機会をいただいた。

たとえば、バーで隣にいた人が頼んだお酒が気になり「なに飲んでるんですか?」という質問から会話が生まれて、一緒にビールのイベントを開催しようということはない。

偶然、同じ食事会に参加していた好みの相手と意気投合し朝まではしごして始発で帰る夜もない。

お酒がつないでくれたご縁は、数値で表せない、定性的な価値がある。

オンラインでは感じることのできない温度感や空気感。そして肌触り。

人の感情は視覚と聴覚だけでは満たされない。

見て、聞いて、嗅いで、味わって、触れて。

五感を超えるリアルでしか味わえない空気感に人は心を揺さぶられるのだ。

人々による抑制と反発


過去の事例から今とこれからの日本を予想してみる。

アメリカでは禁酒法が1920年から1933年までの13年間に及び施行されたのをご存知だろうか。

発端となったのは、健康被害や治安悪化・暴力事件が増えるのは飲酒のせいという根拠のない批判の増加である。

今の日本もメディアによる過剰な発信によって、健康リスクを懸念する批判の声を生んだことが原因だ。

禁酒法を推進する人々は「人類史上初の高貴なる実験」と謳い、次第に声が高まり、結果として1920年1月17日から全国禁酒法が施行。

アメリカ史上、初めての試みだった。

法律の抜け道

しかし、法というのは必ずしも完璧なものとは限らない。お酒の製造・販売は禁じられたが飲酒は禁じられなかった。さらに法律には1年の猶予期間が設けられ、人々はお酒を大量に買いだめした。

この点で日本は、猶予期間は設けず、製造販売に対する制限ではなく、飲食店での提供のみを制限したため、飲食業界、酒類販売業界からの批判を招いた。世の中では路上飲みや、隠れて営業するお店での飲食が増えたのだ。

禁酒法時代の3密

アメリカではお酒の消費量は激増。密造・密売・密輸の3密も横行し、ギャングと呼ばれる密造酒をもぐり酒場に運ぶ中間業者まだ現れた。

ギャングはどんどんと利益を増やし、販路を拡大。カナディアンウイスキーを密輸し、アメリカで広く飲まれた。

禁酒法により、米国内のウイスキー産業は壊滅的な打撃を受けた。

日本における総消費量の増減はまだはっきりと分かっていないが、ワインバブルといわれるほど国内の富裕層による高額ワインの買い占めは起きている。

現代のギャングは、富裕層向けにワインを輸入している仲介業者である。

そして、大きな打撃を受けているのは国内でお酒を製造する酒蔵、ワイナリー、醸造所、蒸留所と主に国産のお酒を取り扱う酒類販売業者なのだ。

ズルが勝ち、まじめが負ける

一方のアメルカでは一部のウイスキーは薬用として薬局で扱われ、医師が処方が必要だと判断した場合、処方箋があれば手に入れられた。

ウイスキー欲しさに医療機関を訪れる人が増え、儲けを得た医師もいた。

しかし、ウイスキーの製造を続けられた蒸留所はほんの一握り。それまで3000軒近くあった蒸留所は多くが閉鎖に追いやられた。

結果としてカナダはボロ儲け。

「禁酒法がうまくいっていないのは、カナダには関係ない」という立場で輸出を続け、国家財政のおよそ3分の1は密輸が占めていた。

この法律は今から88年前の1933年12月、禁酒法廃止を訴えたフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任し終わりを告げた。

もしこのまま、日本が飲食店でのアルコール提供の禁止を継続したら...

真面目に国の規則を守ってお酒を出さない飲食店が規模の縮小・撤退を強いられ、国の方針に反抗し罰金を払ってでもお酒の提供をし続ける飲食店が虐げられる。

国内のアルコールメーカーは飲食店への卸売りが減少し、大人数でのイベントや、百貨店での試飲なども制限される。

消費者はお酒を我慢するどころか提供しているお店を探しSNSで共有したあげく密になり、しまいにはコンビニで買った缶を空けて路上飲みする始末。

これが果たして感染症対策における最善の策なのであろうか。

このままだと国内の小規模な酒メーカーが倒れ、海外のアルコール産業に勝てなくなってしまう。

そして法の穴を潜る、巧みな手口で儲けようとする輩も出てくるであろう。

何かを抑制するということは、同時に反発を起こすということを理解しなければいけない。

そして、お酒を愛し、人生をかけて作り続けた人が悲しまない世の中を作っていきたい。

日本のお酒業界は今、禁酒法により、大きな変革期にいるのだ。



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