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フルーツビール「梨花一心」についてのQ&A


こんばんは、ゆるみな。です。

一週間の帰省を終え秋田から東京への新幹線の中で名物駅弁の鶏めしとあくらの秋田美人ビールを頂きながらnoteを書いてます。この約3時間半の移動時間、有意義に使えるので結構好きです。

さて今回はツイッターのDMでとある女性からご丁寧にグーグルドキュメントにてご質問を頂いたのでnoteで一つ一つ解説したいと思います。


1.本事業を初めるにあたられての経緯やなぜ商材をビールにされたのか、きっかけなどあればお教え下さい。

きっかけとなった出来事は一昨年の夏。フリーランサーとしての独立祝いに当時片想いしていた先輩に連れて行ってもらったベルギービールのお店で飲んだ「リンデマンス ペシェリーゼ」という桃のビールに一目惚れしたからです。

(※リンデマンス ペシェリーゼ)

詳しい内容についてはこちらの記事を御一読ください。

経緯は話すと長くなってしまうのですが、結論から言うと自分の人生全てです。

実家が農家でお米と梨を栽培していたこともあり昔から食農に関して携わる仕事をしたいという漠然とした思いはありました。高校は秋田で最も偏差値の高い進学校でしたが、料理やおかし作りなどの「食×ものづくり」が好きで学校で学ぶ勉学に目的を見出せず雀の涙ほどしか勉強しませんでした。

家でお菓子を作っては学校に持っていき、友達が美味しいと褒めて喜んでくれるのが嬉しくて将来は飲食の道に進もうと高校二年生の頃から考えていました。秋田という狭い世界が窮屈で上京して一人暮らししたいという願望は高校一年生の頃からあり、東京の飲食関係の専門学校を受けようと決めたのです。

アルバイトで稼いだお金で2ヶ月に一回ペースで夜行バスを使って東京に足を運び体験入学に参加しました。全部で5個くらいの調理・製菓・カフェと食分野を学べるところに目星をつけて見に行きましたが最終的に文京区にある「三幸学園 東京スイーツ&カフェ専門学校」(以降、「東京S&C」と略)を受けることを決めました。

カリキュラムと在学中の先輩たち先生たちの人柄、それに学校全体の雰囲気が素敵で絶対にここに通いたいという気持ちが日を追うごとに高まって行ったのを覚えています。そして高校三年生の6月、AO特待試験を受けて合格。僅かながらに授業料免除を受けることができました。なんの承諾もなしに勝手に受けたので学校の先生も認めざる終えず親もやる気を認めてくれて入学することができました。

東京S&Cでは、飲食店を運営するにあたって必要なことを満遍なく学べる環境が整っており私のようないろんなことを幅広く学びたいというタイプの人間にはぴったりの学校でした。また二年生になると一階のカフェスペースを利用して店舗実習ができたのでただ作って食べて終わる料理教室とは違い、実践的に経営のノウハウも学べました。

座学では色彩コーディネートやフードコーディネート、経営学、食品衛生に実習で使うフランス語の勉強など現場以外の知識やノウハウを学びとても充実した学生時代でした。しかし二年生の夏に「子宮内膜症」という病気を患い、実習中に貧血を起こしたり朝腹痛で起きれなかったりして学校に通えない期間が続いたのです。

ちょうど就職活動の大切な時期でしたがまともに出来る状態ではなく結局本格的に動けるようになったのは9月でした。

その頃になるともうほとんどの企業が新卒採用を終えていて、私は限られた企業の中から泣く泣く一社を選んで受けました。会社自体には無事採用され、就職浪人になることは免れましたが心のどこかで「自分の本当にやりたかったこと」の出来る会社ではないとうっすらと感じていたのです。

そして配属されたのは私が想像していた仕事とは全く違うものでした。回転率重視の作業効率型運営と言えばわかりやすいでしょうか。ショッピングモールの中のカフェでキッチンは狭く既製品を盛り付けて仕上げるだけのまるでファストフードのような形態でした。さらに接客もスピード重視の捌くような流れ作業。

売り上げモットーのまるで戦場のような職場でした。思い描いていた仕事とのギャップ、人間関係のドロドロな部分、そして店長や本社への不満が溜まりさらにはハラスメントのストレスが祟ってわずか4ヶ月で辞めてしまいました。

今では懐かしい思い出話でありあの時思い切って辞めて良かったと思っていますが、当時はこの先どうしようという不安が大きかったです。そんな時、生活をつなぐために始めたイタリアンレストランでのアルバイト。料理に既製品をほとんど使わないこだわりと国産ワインを豊富に扱う、地域の人にコミットしたファミリー向けのレストランで店長さんも従業員の方もとても尊敬できる方達でした。

そこで働きながら体のことも考慮して次の就職先をどうするか、9月からの約4ヶ月間で模索しました。その頃ツイッターで『さえりさん』と『カツセマサヒコ』さんを見つけ、あの二人のように言葉を綴る仕事をしてみたいとライターになることを決意。

カツセさんのイベントでもらったアドバイスをきっかけに「まずはブログを書く」ということから始めました。左利きのエレンを描いた漫画家かっぴーさんが注目していると仰っていたラインブログを始めました。自由に好きなことを書いていたら食関係の記事が数回バズり1日2万PV、月間8万を稼ぐという貴重な経験もできました。

あの頃の小さな成功体験が自信に繋がり、さらには編集者の方から執筆依頼の連絡を頂きライターとしての仕事を始めるきっかけが生まれたのです。もっとライティングにかける時間を産出したいと考え翌年の1月、飲食店のアルバイトを辞めとある大手企業の新規事業で受付事務に転職。

パート社員として働きながら空いた時間でブログやライティングの作業をしていました。その時間の活用の甲斐もあって、約半年でパートの給料とブログアフィリエイ・ライティングの給料が同じくらいになりました。

しかし他のことに使える時間がなく、朝起きる、会社に行く、仕事終わったらカフェで作業する、寝るの毎日に飽きてしまいました。そしてその年の7月にフリーランスとして独立。そこからは前回のnoteに記載したような働き方で自分の時間の許す限りどんどんいろんなことに挑戦していきました。

様々な経験をするうちに「行動したら夢は叶う」という成功体験が重なりそれが自分の自信になっていったのです。その自信を持てたおかげでリンデマンスのペシェリーゼを飲んだ時、実家の梨を使って美味しいビールを作りたい。ビールで農業の6次産業化を進めたいと強く思うことができました。

第三者から見たら、流行りに乗ってるだけのミーハーだとか、今更既存のビールがたくさんある中で無謀だとか言ってくる人はいるかもしれません。だけど私は衝撃と希望をくれたフルーツビールで世の中を癒したいです。

これまでの原体験から確信したことがひとつあります。それは、

やらなきゃわかんない、やりたいならとりあえずやってみる。そしたら得るものは必ずある。

ということ。

長い昔話になってしまいましたが、私が今の事業をするにあたった経緯はこんな感じです。

2.本事業の想起からのスケジュールをお教え下さい。

思い立ったのは一昨年の7月。

その年の9月にフレンドファンディング「polca」というサービスで資金を集め茨城県にある常陸野ネストビールを醸造する木内酒造で体験醸造を行い、実験的に製作。

当時の体験レポートはこちらです。

その後、完成したビールの試飲パーティを神楽坂のラカシェットというお店で開催。国内のクラフトビールを作っている醸造家の方と繋がりを築くためにブリュワリーパブやビールイベントに参加。ボランティアやアルバイトでお手伝いもしました。

チャンスがある度、「実家の梨を使ってビールを造りたいんです!」と公言し少しずつクラフトビール業界の方々から認知されるようになりました。昨年の二月にはホリエモン万博でビールガールをやったり、主催でクラフトビールのイベントやコミュニティ運営もやりました。

とにかくクラフトビールのことを知りたい、広めたい、本気度を伝えたいという思いでやれることを全力でやりました。

徐々に応援してくれる人が増えていって、去年の6月にクラファンの立ち上げを決意。8月17日より開始して9月29日に合計185名から122万3100円の資金を募ることができました。

醸造は10月に岩手の一関まで足を運び、醸造長と相談してレシピを考えました。そして12月13日に完成。今現在はクラウドファンディングのリターンの包装から発送を行なっています。

並行してクラファン分以外の商品の販売ルート(ECサイトや店舗販売)の確保、企業とのコラボイベント、ホームページの作成、広告のためのLPの企画設計をしてます。

3.主なスタッフは何名程度でやられてたのでしょうか。

正式なプロダクトメンバーは私以外いません。

クラファン達成までの基本的な商品企画やプロデュース、ページ作成は一人でやりました。

しかし、梨農家である実家の両親、いわて蔵ビールの社長さんや醸造長、社員の皆様、ラベルを作成してくれたイラストレーターのそふとめんさん、ブランドロゴを作ってくれたブランディちゃん、アドバイスをくれたビアジャーナリスト協会の藤原ヒロユキさん、ペアリング商品企画に協力してくれている野田幾子さん、応援してくれた大館ビール倶楽部のメンバーの方々、時には厳しく教えてくれた醸造家さん達、手伝ってくれた友人やビジネスパートナー、クライアント...。

数え切れないほどのたくさんの人の応援のおかげで実現できました。私一人では絶対に実現できなかったと断言できます。

そしてこれからも多くの人の力を借りながら進めていきたいです。現状は人もお金も足りません。一人でやってきたため誰かを巻き込むこともお金を集めることにも苦戦してます。

力になってくださる方がいれば連絡くださいm(_ _)m

beerfruits.0411@gmail.com

4.製造委託されている企業様はどのようにみつけられたのでしょうか。

まず、テイクを求める前にギブしようと思いクラフトビール関係のイベントに参加したりお手伝いをしたりしました。そしてブリュワリーの方との人間関係を築いた上で「フルーツビールを作りたい」と公言し、いろんな人に認知してもらいました。そのおかげで岩手県にあるいわて蔵ビールを醸造する世嬉の一酒造の社長さんから声をかけていただきお願いすることに決めました。

5,協力農家様はどのようにみつけられたのでしょうか。

今回は実家で栽培している梨を使いました。いわて蔵ビールさんの助言もあり、台風で落ちてしまって商品にならないものを一部使用して造っています。

なお、梨花一心をきっかけに果物農家さんからビール作りたいとの声をかけていただいています。ありがとうございます。

※商品の品質について質問を頂きますが全く問題はありません。

6,クラウドファンディングでの目標金額設定はどのように、行われたのでしょうか。

200リットル(330mlの小瓶が300本)を委託醸造するのに30万円。ラベルやロゴの作成に10万円。送料に30万円。リターンのオリジナルグラスに10万円。ギフトボックスの発注に15万円。その他雑費に5万円と大まかに予算見積もりをしました。100万円で足りなかった文は自己資金でなんとかしようと思ってました。

7,クラウドファンディングにおける援助金の使用割当を大まかでも良いのでお教え頂ければ有り難いです。

概算ですが大きめのお金の動きは上記になります。

まだ全て終わったわけではないので途中経過になりますが相場の参考になれば嬉しいです。

 p.s 新しい酒類の飲み方や酒類を超えた商品の提案がこれからのカギになるのではないかと思っております。今回は、クラフトビールと日本酒の新しい商品の提案が、なにか生まれたらという意味も込めご連絡させて頂きました。ご回答頂けましたら幸いです。宜しくお願い致します。栗本京@nagoyakyoko

栗本さまご連絡ありがとうございます。

質問に答えさせて頂きましたが満足のできる内容となりましたでしょうか?もし「もう少しここを詳しく知りたい」、「ここがよくわからない」などありましたら遠慮なくご質問ください。

お酒もただの飲み物としてではなく、飲む人の個性や主張を表現したりそのお酒を飲んで欲しい空間や状況まで明確に提案することでライフスタイルの1つとして人々の生活の中に浸透していったらいいなと思っております。

ジャンルは違えど、新たな商品開発を試みるものとして切磋琢磨していけたら嬉しいです。今後ともよろしくお願いいいたします。ご質問ありがとうございました。


フォロワーさんや顧客の方がどんなことに興味関心があって何が知りたいのかを直にヒアリングできる機会はとても嬉しいです。商品に関してのご質問はこれからnoteにまとめていこうと思いますので、質問箱やDMから遠慮なくどうぞ。

noteに関して参考になったという方、ビール作りを応援してくださる方、よかったらサポートにて投げ銭してもらえたらこれからの励みになります。

では、無事東京の家に着いたのでお風呂でゆっくり長旅の疲れを癒してきて美味しいビールを堪能することにします。最後までお付き合い頂きありがとうござます。今年最初の華の金曜日、良い夜を。


ゆるみな。




いただいたお金は全て息子に捧げます