環境が適切でなければ生きられない
※RethinktwiceによるPixabayからの画像
とある方とのやり取りの中で思ったことを整理しておこうかと思います。
道端に金魚が落ちています。
この金魚をどうするべきでしょうか?頑張れと励ますでしょうか?
違いますよね。水を探して生きられる状態に置こうとするはずです。
金魚がいくら健康体だったとしても、陸上で生きてゆくことはできませんね。
- 何故か? -
至極単純な理由で、そういう構造をしていないから。
では陸上で咲く花はどうでしょうか。
魚と違って陸上で生命活動を行っているものですから、陸地であればどこでも生きて行けるでしょうか?
- 答えはNO -
植物には適した「土壌」「気温」「湿度」などの条件が必要であり、その微妙なバランスが崩れれば枯れてしまうものも少なくありません。
では人間は?
栄養は買うなりすれば得ることがでします。
温度はどうでしょう?空調や服で調整ができますね。
住居なども借りるなり建てるなりすれば整えることができます。
- では全ての人間はどのような環境にでも適応できるのでしょうか? -
YESでありNOでもある。と言えると思います。
先の植物の話ですが、雑草のように植物を枯らす目的で作られた除草剤に耐性を持つような力を持つものもあれば、微妙な環境の変化に順応できずに枯れてしまうものもあります。
つまりは人間も誰でも同じではない。
動植物の研究ってけっこうやってるし、日々進んでいると思います。
「これは食べない」「土壌のpH値は○○が限界だ」「こうしないとストレスで弱ってしまう」などなど・・。
意外と人間が暮らしやすい環境の研究なんかよりも進んでいるのかもしれません。
しかも個別に、特に希少種や絶滅危機種なんかの研究は進んでいるんでしょうねぇ。
人間は個別に住環境を研究してはくれませんから、自分で自分が快適に生活できる条件を1つ1つ研究するしかありません。
住環境の研究があるとしても一般論であり、様々な少数派の研究というのは後回しになるんじゃないでしょうか。たぶん際限がない話になってくるから。
だったら自分でいろいろやってみる。
「あ、コレやったら楽かも」「これは負担が少ない」「アレは疲れるなぁ」
色でも素材でも音でもなんでもいいと思います。
自分にとって適した環境作りというのは、実は重要なことなんじゃないかな?
なんて思った次第。
やれないことを頑張るより、ちょっとでも出来ることを探したほうが前向きな感じがしませんか?
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