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母の死

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母の死に纏わる、気持ちとかのあれこれ
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母の選んだ死に方について

母の選んだ死に方について

時々、母のしたことは緩慢な自殺と何が違うんだろうと考える。

20数年ぶりの乳がんの再発、放置による全身への転移…
骨への転移による歩行もできない耐え難い痛みを「坐骨神経痛だ」と言い張って、頑なに病院へも行かず。同居の家族にも長年の友達にも、誰にも本当のことを話さずに。痛みも不安も全部ひとりで抱え込んで。

脳転移からの脳出血で救急車で病院に運ばれて、やっと家族は真実を知り…医者から告げられた余命

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隣の芝生は青くて、ずるい

隣の芝生は青くて、ずるい

ずっと「母は弟の方がかわいいのだ…」と、どこかで思いながら育ってきた気がする。「弟ばっかり贔屓して、ずるい」という感覚は実家で過ごした10代の間、いつもどこかにつきまとっていた。

だから死を待つ母の病床に詰めていた時、弟から「お姉ちゃんばっかり、ずるい」とポツリと言われた時には心底びっくりした。自分はずっと「弟はずるい」と思いながら生きてきたのに、贔屓されていたはずの弟に「ずるい」と思われていた

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湯灌の儀への恨み言

湯灌の儀への恨み言

2年前の夏の終わり、母の葬儀の際のことだ。

打合せで、「湯灌の儀は無しにして欲しい」と葬儀会社のスタッフに伝えた。実年齢より20も年老いたかのように痩せこけて、ガンまで露出した身体を見せたくなかったのか…遺された母の手帳に「人前での湯灌の儀は執り行わず、葬儀会社に任せて欲しい」と書いてあったからだ。

しかしそれを伝えたにも関わらず「身体は見えないから気にする必要はない」と葬儀会社のスタッフから

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母にとっての、その時間は

母にとっての、その時間は

ある夜、眠りにつく前にふっとこういう考えが降りてきた。

「娘に子供を持たせたがっていたということは、母はもしかしたら子育てが楽しかったのだろうか?それって子供を持って良かったと、思っていたってことじゃないだろうか?」と。

常々こんな風に考えていた自分には、それはわりと衝撃的な発想だった。

母のことは好きではあるけれど、それ以上に反発もしていたし嫌な思い出は沢山あった。それがやっと少し

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あの日から眺めた未来は

あの日から眺めた未来は

母が乳がんで亡くなった、すぐ後のことだ。

長年の友人が同じ病にかかっていることを知らされ、少なからず衝撃を受けた。だが同時に告げられた「ごくごく初期で何も問題は無い」との言葉に、心からホッとした。母も20数年前に発覚した時は、治療によって問題なく健康になった。だから抱える不安は大きいだろうけれど…さらに医療の進歩した現代に適切な治療を受けるなら、きっと大丈夫だろうと信じることができた。

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母を亡くした日の朝に

母を亡くした日の朝に

先日に続いて、もうひとつ夢の話をしてみよう。
母が亡くなった日の早朝にも、夢を見たのだ。
 

実家のある地元の駅の目の前に何かの受付のような建物があり、そこに長い行列ができている。なんだろうと思いながら何の気なしにその側を歩いていると、列の後方に母と母方の祖母の顔をみつけた。

しかし祖母はとっくの昔、20年も前に亡くなっている。だから「こんなこと、ある訳がない」咄嗟にそんな考えが頭を過ぎる。け

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「もう痛くもないし、苦しくもない」

「もう痛くもないし、苦しくもない」

亡くなる前の母は、3ヶ月前まではいつもと変わりなく見えた。腰が痛いと多少辛そうな顔はしていたけれど、それだけだった。

それが亡くなる1ヶ月前に会った時は、まるで別人のように変わり果てていた。同窓会の写真などを見る限り、同年代より若々しかった母だったのに…げっそりとした顔は10も20も歳をとってしまったようで、身体は瘦せ細り足の筋肉は全て削げ落ちて。自力ではまともに動けない身体に虚ろな表情。

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身体と心は繋がっている

身体と心は繋がっている

母を亡くしてから、感情を吐き出しきるまでの半年程の間は。(詳細については「母の死」マガジンからどうぞ)自分が意識しているより自覚しているより、もっとずっと…心の奥底や身体では絶え間無くストレスを感じ続けていたのかもしれない。

なぜなら母を亡くして以降、頻繁に白髪が見られるようになったからだ。

どれもこれもが根元から数センチが白く、ある時期から急に…というのが目に見えてわかる状態になっていて。思

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夢の世界の深層心理

夢の世界の深層心理

母が亡くなる前までの数年間。
数は多くはないけれど、母の出てくる夢はいつも同じパターンだった。

夢の中の自分はいつも母に対して現実ではありえない程に怒り狂っていたり、
自分を認めさせようと必死になっている。

夢の中の母は大抵、実際の母の姿ではなく"ひどい親"の姿をしていた。

母親がネグレクト状態で自分が遊ぶことしか考えてなくて。中学生の自分はプライドもあってそれを先生に隠そうとしてたけど、ば

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お盆には、ありがちなアレ

さっき、リビングのソファに寝転がりながらスマホを眺めていたら。
カタンっと何かが落ちる音がした。

わりに大きい音だったから、何が落ちたんだろうと思ってソファから起き上がったら。実家から持ち帰った、母の使いかけのハンドクリームが床に落ちた音だった。風が当たる場所でもないし、不安定な置き方もしてなかったのに。

これは、時期的に。
母の初盆帰省アピールというやつなんだろうか…?

とりあえず、新居の

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死と、死後の関係性と、許す許さないなど

死ぬって、なんなんだろう。
その人との関係性をどう変えてしまうんだろう。

母が死ぬまで、こんな風に母について考えたり思いを巡らせる事なんてなかった。それが今では何かきっかけがあるごとに、ふとした瞬間に。生活の中の折々で母を思い出し、何をどう感じていたのか、どうしてあのような亡くなり方をしてしまったのかを考えてしまう。

生前には1ヶ月2ヶ月メールもしないなんてざらだったのに、今は週に何回も何回も

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こんなにも変わったのに、こんなにも何も変わらない

ちょうど1年程前の、5月最後の日曜日。
それが元気そうな母を見た、最後の日だった。

叔母の家に行くというので、一緒に連れて行ってもらって。
その時に、大喜びで出迎えてくれる犬の動画を10秒だけ撮った。

その中に、叔母に話しかける母の声が入っている。
普通に元気そうに、ごく何でも無い感じに話していて。

これが3ヶ月後にはまともに話す事もできなくなって、死にかけてるなんて…
今でもまだちょっと信

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「なんて言葉をかけていいか…」

この1年は夏の終わりに母が急死した事もあって、「辛い年だったな…」という印象がある。

しかし、それと同じくらいに。
人の温かさに触れた年でもあったように思う。

何気ない言葉がこんなに心に届くものだなんて、知らなかった。

「なんて言葉をかけていいか…」と思うような時、というのは存在するが。
まさに昨年の自分の状況は、そうだったのだろうな…と思う。

そういう時に、何を言うべきか。

ずっと、わ

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悲しみを消化する時間

悲しみを消化する時間

昨年の夏に、まるで不意打ちのように母を亡くして。

二度と会えないという悲しみ、何もしてあげることができなかった辛さ、
理不尽に奪われた事への怒り、気づけなかった後悔、
あの時ああしていれば…という想い。

そして母と築いてきた関係に対する、複雑な気持ち。

負の気持ちがごっちゃ煮になった鍋が、胸の中にあって。
何かのきっかけで母の事を思い出す度に、それを覗き込んでは泣いて…

この半年、2~3日

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