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自分を縛るもの

ある友達と話していると、たまに目から鱗が落ちるような気持ちで「そうか、彼女はこの部分にコンプレックスは無いんだな」としみじみすることがある。「だからそこでそういう風に衒いなく動けるのか」、って。

そういう時、気持ちの足枷って見えないけどたしかに存在してると実感する。

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そういえば「自分を1番縛ってるのは自分なんだろうな…それも無自覚に」というのは、以前に知人のセッションを受けた時にも思った。時間的にも金銭的にも完全に自由だったらやりたいこと、で挙げた内容が「身にならないから、そこにお金を使ってはいけないと思っていること」とほぼイコールで。可視化して指摘されたことで、初めてそれに気がついたのだ。

どうやら自分は、旅のような「スキルや形として残らない、楽しみたいだけの体験」というものを。「やりたいけれど、お金を払う価値のないこと」と位置付けていたようで…逆に「あなたみたいな仕事をする人間にとっては、その体験こそが感受性への糧でありお金を払ってでもする必要のあるものだ」と言われて、目から鱗が落ちるような気持ちになった。

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縛っているものがほどけたら、そこからは早かった。その10日後には、初めてのひとり旅の為の手配が全て終わっていた。

初めての予定を全く決めない、その場の閃きで動く旅というのは…体験したことのない面白さに満ちていて。この時に、今まで持っていた旅の概念が覆された。それまでの旅は「滅多に行かないのだから」と予定を詰めこんでは、体力のある同行者に合わせて動いて体調を崩す…ということが多く。また幼い頃からの乗り物酔いエキスパートでもある為、旅とは「とても楽しいけれど大変なもの、しんどい思いをするかもしれないもの」だった。

だけれども予定に追われず、疲れれば休憩を入れて元気が出れば動き出す。1人で気の向くままに動く旅は、1週間もあちらこちらを移動して回ったにも関わらず体調を崩すこともなくて。美味しいものを食べて、人の親切ににっこりして、下調べしていたら行かなかったであろう場所に足を運んで。

それまで恐れていたノープランという不確かさが、どこにでも行ける自由という魅力になり得るのを知った。

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縛られていることすら知らなかった鎖を外したら、思いがけない世界が現れた。この体験は、自分にとって大きな転機になったように思う。何事に対しても腰が重く、気軽にやってみようと思えなかったけれど…それ以降は「やってみたら、違う世界が見えてくるかも」と思えるようになったのだ。

そんなこと、自己啓発本にいくらでも書いてあることかもしれない。でも、自分の体験としてそれを知っている…というのは存外に大きい。頭にしまい込まれている知識と、経験として自分の糧になっているというのは全く違うことだ。

きっと今でも自分を縛っている見えない鎖は、沢山あるのだと思う。でも、それが歳を重ね経験を重ねていくことで。どこかでまた、ほろりと外れれば良いなと思う。

まだ知らない自分に会うこと、それは生きる楽しみの1つなのかもしれない。



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この時のひとり旅の体験は、こんな記事になりました。いつか他の思い出についても書きたいなと思っています。

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