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感覚で撮る、頭で撮る

この秋は、めちゃくちゃ紅葉を見た。

といっても、別にどこかへ行楽に出かけたわけではなくて。撮影繁忙期の七五三シーズンということで、そのついでだ。七五三定番の厳島神社がある宮島や護国神社側の広島城は、同時に紅葉の名所でもある。

以前は、紅葉の写真を撮りたいとはあまり思わなかった。どう撮っても似たり寄ったりになってしまうから、面白みがない…そうならない為にひねりを入れるのも面倒くさい。そこまでして紅葉写真なんて撮らなくてもいいや、そんな風に思っていたのだけれど。

今年は首元にドングリが落ちてきて、なんだなんだと見上げた先に色鮮やかな対比が広がっていて思わずレンズを向けたり…

歩いていると、柔らかで落ち着いた色の組合せとそこに当たる光にふっと目がとまって。思わずシャッターを切っていたり…

なぜかこの方向に気が惹かれるな…と気分任せに土手をよじ登ったら、とても心くすぐられる煌めきが目に飛び込んできて。

金色の葉が光の中でさざめいている、なんて綺麗なんだろう…と目を奪われたり。そんな風に、瞬間瞬間に心を揺らされながら衝動でシャッターを切っていたら。

いつの間にか、沢山の紅葉写真が手元に残っていた。


別に紅葉なんて撮らなくて良い、なんて思ってしまっていたのは。
こうやって心を動かされた時のように「どう撮れば、この今の感覚を写真に落とし込めるのか」に意識を向けるのではなくて。「この皆が撮る美しい素材をどう差別化するか、どう自分らしさを出していくか」と、つい考えてしまっていたからかもしれない。

自分の感覚を表現したい、という大意は同じかもしれないけれど…感覚から発するもの頭でこねくり回したものでは何かしら違う気がする。前者は純粋に楽しいのだけれども、後者だと課題に取り組んでいる様な気分になる。

1度や2度なら課題も楽しいだろう。でも桜も紅葉も、毎年あるのだ。
さすがにカメラを手にして15年以上も経っていれば、面倒に感じてしまっても仕方がないのかもしれない。

だけどこんな風に、課題なんてうっちゃり捨てて。ただ気持ちのままにシャッターを切るのは…誰かと何かと比較することなく、ただ感じたままにファインダーを覗き込むのは…なんてワクワクするんだろう。

どちらが良い、どちらが正しいなんて訳ではなくて。ただ今年はなんとなく、そういう気分だっただけなのだけれど。

写真とは自分の「あ!」を拾い集める作業なんだな、と。
そういう基本的な感覚に、改めて気づかされる秋だった。

仕事で撮る写真とは別に、趣味で撮る写真は。こんな風に、宝箱に入れる心の欠片達を気持ちのままに拾い集めるくらいでいいのかもしれない。


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広島で、大人から子供まで人物の出張撮影をしています。自然な情景を、その時間を…切り取って残したスナップ写真は、お客様だけでなく自分にとっても宝物。何かありましたら、ぜひどうぞ!

ユルリラム
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