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あの日から眺めた未来は

母が乳がんで亡くなった、すぐ後のことだ。

長年の友人が同じ病にかかっていることを知らされ、少なからず衝撃を受けた。だが同時に告げられた「ごくごく初期で何も問題は無い」との言葉に、心からホッとした。母も20数年前に発覚した時は、治療によって問題なく健康になった。だから抱える不安は大きいだろうけれど…さらに医療の進歩した現代に適切な治療を受けるなら、きっと大丈夫だろうと信じることができた。

なぜこの話をしたかというと。昨日その彼女と会った際に、母についてとても心に残る言葉をかけられたのが忘れられなくて…書き記しておきたいと思ったからだ。
 

「最初にガンになった時から考えたら、お母さんは20数年もの時間を手に入れることができた。子供が成人して結婚して30代になるまで生きることができたなら…最初に癌になった時と今回再発した時では心残りが全く違ったと思う。もしわたしが今から20年健康に生きられますよ、と言われたら。それだけでもう大満足よ。」

細かい部分は異なっているかもしれないけど、こういう主旨のことを伝えてくれたと思う。子供がいて、同じ病気にかかった彼女の言葉はストレートに心に響いてきた。頭の中で新しい目が開いたような気持ちになった。今まで見えなかった方向からの視界が開けたことで、またひとつ何かが救われたような気がした。

そうか、たしかにそうだ。13歳だったあの時、そして弟はまだ10歳だったあの時であれば…母はきっと死んでも死に切れないと思ったはずだ。子供を残して親よりも先に逝く、その未練と後悔は今回とは比べ物にならなかっただろう。

そう考えると、20数年という時間を他に大きな病気をすることもなく健康に過ごせたというのは。突如として、素晴らしく幸せなことのように感じられてきた。所謂「コップに半分入った水」ではないけれど、見方によってこうも心持ちが変わるものかと思った。

事実はどうあれ変わらないけれど。「わたしの母は不幸だったのだ」と考えるより「わたしの母は幸福だったのだ」思える方が、残された者にとっては余程救いになる。

母の死から、また一歩前に進むことが出来た日。こちらを気遣いながら、真摯に言葉を伝えてくれた友達には心から感謝をしたい。



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そして羽生結弦君の五輪連覇には、胸がいっぱいです。いっぱい過ぎて、上手く言葉にならないけれど…落ち着いたら、また言語化できればいいなと思っています。

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