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あなたの書くと、わたしの書くは

キッチンタイマーさんの「架空の聞き手を心に住ませる」を読んでいて、ふと思った。

そういえば聞き手を想定して書く…ということはしたことがないかもしれない。 自分にとって書くことというのは、話し手になるというより聞き手になっている感覚に近いからだろうか?
 
"書きたい"の種をみつけたら、まず頭の中でそれに纏わるお喋りが始まる。考えや感覚がまだ曖昧な部分では声が止むので、立ち止まってもっと深い部分へと耳を澄ます。そうやって自分の内側に耳を傾けながら、目に見えないものを見えるものへと翻訳していくのが…自分にとっての、書くという作業だ。

だから誰かにあてて、というよりは。自分にあてて書いているのかもしれない。曖昧とした輪郭のはっきりしないものに、きちんとしたラベルを貼って保存しておく…その作業が好きなのだ。

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先日幸運にもあるnoterさんに直接お会いして、書くことについてお伺いする機会があったのだけれど…美しく叙情的な文章を書かれるその方は「書いたものは読み返さない」とおっしゃられていた。それを聞いた時は、正直な所ひどく驚いた。自分が全く逆のタイプだったからだ。

自分の場合は。ラベルを貼って収納したその時その時の思考や感情の欠片を、未来という位置から愛でるのが好きだ。

それは写真でも文章でも同じで。引っ張り出してきた過去の己の一部を眺めては共感したり、未熟さに悶えたり、微笑ましくなったり、懐かしさを覚えたり…少し距離をとった場所から、その時とはまた違った心持ちで眺めるのを楽しむ傾向がある。
 
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このように、書くという作業を好むという共通項はあっても。文章のスタイルと同様に、書く手法も書いた物に対するスタンスも人それぞれで。とはいえ表だって目には見えてこない部分だからこそ、こうして自分のやり方以外に触れることには新鮮な驚きがある。

わたしにとってに聞き手とは、今の自分であり、未来の自分であり、そして漠然とした"わたしではない、あなた"であって。明確な人物像というものはないのだけれど…

では、あなたは一体どうなのだろうか?
良かったら、頭の中身を文字として広げて教えて欲しい。

喜んで、聞き手となるから。




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自分とは違う人の頭の中身の話を聞くのが、わりと好きかもしれません。違うって、面白い。


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