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ハレの日ではなく、日常こそを

昨年夏に、母が急死して。
母の写真を撮っておかなかったことを、非常に後悔した。


後悔についての詳細は、はてなBlogに書いたのでここでは省くけれど…
(参照:「母の写真」 http://photalk.hatenablog.com/entry/2017/02/01/120100 )


撮られるのが好きではない人だったというのもあって。
ここ10年の写真なんて、結婚式や同窓会や旅先でカメラに向かってニッコリした写真しか見当たらない。


まぁそれでも。面影を偲ぶのに不足という程でもないけれど…と思っていたら。数日前にデータの海の中から、ひょっこり2枚だけでてきた。

普段通りの、母らしい、母の写真が。

撮影時期は、2009年の夏。
この頃はフィルムカメラとコンデジの生活から、デジタル一眼レフに乗り換えた事もあって。どこかへ出かけるとなれば、いそいそとカメラを持ち歩いていた。

この写真はたしか亡くなった祖父の家に、物を撮りに行った時だ。

頬に手を当てている仕草が、いかにも母らしくて。
亡くなってまだ半年程度だというのに、懐かしさで胸がいっぱいになった。

母を亡くして思うのは、スナップ写真というものの力。

こんな風にふとした仕草にこそ、その人らしさが感じられて…
身近で目にし続けてきたものだからこそ、とても恋しく思えて。

レンズに向かって作り笑顔の母より、よっぽど身近に感じられた。
「ああ、お母さんがそこにいる…」心の底から、そう思えた。


大人になればなる程に、こういう自然な瞬間の写真を残すこともなくなってしまうけれど。ハレの日だけではなく、日常こそが残すべきものなんじゃないだろうか。


仕事では、いつもそれを念頭において写真を撮っているというのにね。
肝心なプライベートでは全くできていなかったというのが。
笑えるようで、笑えない所。


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