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作業としての撮影は…

友人や身内の、式場でのウエディング前撮りに付き合ったことが何度かある。

自分の撮影ではない、他人の撮影を見られるということに。
ちょっぴりワクワクしたものだけれど…

あれ、思ってたよりずっと"作業"だった。

仕事の効率を求めるなら、相手と向き合うことは必要ない。
条件さえ揃えば、そこにいるのが誰だろうと同じ。

人に合わせて型を作るのではなく、人を型にはめていく。

そう感じさせられるような…まさに仕事としての撮影だった。

1日に何組も流れ作業のように撮影していくのであれば、たしかにそうするのが最も効率的で、正しい。

ただ、自分には無理な撮り方だなぁと思った。

笑顔を引き出そうと繰り出される、テンションの高い早口での。
心はこもっていないけれど、まるで芸のように洗練された接客トーク。

横で見ながら驚嘆はしていたけれど、(すごい。だけど、無理だわ…。)というのが正直な感想だった。あんな風に仕事として割り切って、同じ事を繰り返していたら。自分の性格だと、きっと写真を撮ることが好きじゃなくなってしまうだろう。


一方で出張撮影は、箱の中で決まったものを撮影するのとは全く違って…

面識のあったりなかったりする相手の反応を伺いながら、その日の天候だったり場所だったりを考慮しながら…と"臨機応変"なスタイルというか。もっと感覚的で、インスピレーション任せなところがある。

その場で思いついたことを自由にできるのが良い所で。
野外撮影したセラピストさんから「面白く撮ってください!」なんてリクエストいただいて、「とりあえず、じゃあ…」とヒールで木登りしてもらったこともあったりする。

そんな風に突発的で予想外なリクエストだったり、ご自宅での撮影だと事前にどんな場所かわからなかったり、天気だって当日までは確定しない。時には全く経験のなかったジャンルの撮影を頼まれることもある。

作業どころか、いつも不安と緊張に満ちている。

「それが好きなのか?」と言われると、そういう訳ではないはずなんだけれど…誰かに強制されたわけでもなく、自分の意思でやっているんだから。どれだけ「初めての」「正解がない、確実性がない」ことが苦手だと思っていても、断らないのだから。

結局のところは、作業にはない"刺激"を求めているのかもしれない。

どちらが良いかではなく、性分の問題として。作業としての撮影じゃないからこそ、どこか飽きっぽい所のある自分でもこうやって続いているんだろう。

写真を撮る、撮影といっても。色々な形があって、ジャンルがあって。出来ること出来ないこと、向き不向きがある。

前撮りの見学は、そういったことを感じさせられる体験だった。


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