見出し画像

母にとっての、その時間は

ある夜、眠りにつく前にふっとこういう考えが降りてきた。

「娘に子供を持たせたがっていたということは、母はもしかしたら子育てが楽しかったのだろうか?それって子供を持って良かったと、思っていたってことじゃないだろうか?」と。

常々こんな風に考えていた自分には、それはわりと衝撃的な発想だった。

母のことは好きではあるけれど、それ以上に反発もしていたし嫌な思い出は沢山あった。それがやっと少し和らいだのは、母の死の数年前頃からで。母を亡くして色々考え出すまでは…子供時代の記憶というのは、母に対しての怒りというものに密接に結びついていた。

そういう経緯もあって。大人になってからの母娘仲はそう悪くはないけれど、すごく良い方ではなかったし。同年代で同じクラスにいても仲の良い友達にはならなかっただろう、とずっと思っていた。

だから、母がこんな風に感じていたかもしれないなんて想像したこともなかったのだ。

* * *

母は子供が好きだったし、娘に対しても「子供を持って欲しい」と願っていたことは知っていた。

ただ疎まれるのがわかっていたせいか、滅多に口にすることはなかったけれど…。つまり娘である自分は上記でも引用したように、昔から積極的に「子供が欲しい」と思ったことがないのだ。小学生の頃から産む時に痛いのも苦しいのも嫌だから子供なんていらない、と言うような子だった。

歳を重ねた今では「いたらいたで良いし、いなければそれでも構わない」程度のスタンスには変化したけれど。夫が「子供は欲しくない」という人なので結局我が家に子供はいない。

しかし母は死ぬまでも、そして死んだ後でさえも娘に子供を持って欲しかったようだ。"そういう仕事"をしている友人と子供の話になった時に「お母さんらしき人が隣で、子供はいいものだ」と猛プッシュしていると告げられたこともあるくらいだ。

* * *

そんな母を知っていたにも関わらず…

いつでも反発心が先に立っていたせいか、こんな当たり前の考えに思い至りもしなかった。「自分が体験して良かったからこそ、娘にも勧めているのかもしれない」なんて。

私たちを育てたのは、母にとって幸せなことだったんだろうか。もしかしてそれは辛く苦しいだけでなく、母なりに充実した時間でもあったんだろうか。こんな自分でも、あんな弟でも可愛いと思ってくれていたんだろうか。

今、その新しい気づきに本当に驚いている。



*************
スキ・フォロー・クリエイターサポート、すごく嬉しいです。
書く励みになってます、ありがとうございます!

サポートはたぶん、うちのかわいいワルチーズのおやつか好物のささみに化けます…!