悲しみを消化する時間
昨年の夏に、まるで不意打ちのように母を亡くして。
二度と会えないという悲しみ、何もしてあげることができなかった辛さ、
理不尽に奪われた事への怒り、気づけなかった後悔、
あの時ああしていれば…という想い。
そして母と築いてきた関係に対する、複雑な気持ち。
負の気持ちがごっちゃ煮になった鍋が、胸の中にあって。
何かのきっかけで母の事を思い出す度に、それを覗き込んでは泣いて…
この半年、2~3日に1度は涙をこぼしていた気がする。
それが、どうしたものか。
ここしばらくは母の事を考えても、心は穏やかで…
涙もそんなに頻繁には出なくなった。
考えてみれば、先月半ば辺りからそうだったろうか?
思い当たる事の1つとしては…先月、やっと大泣きが出来た。
身も世もないくらい、"轟々と"という表現がしっくりくるような。
全身で吠えるような、そんな泣き方が。
ずっと涙は流していたのに、亡くなって半年近く経つまでこんな泣き方はできていなくって。
だからこそあの日の事は、今でも覚えている。
いつものように、スーパーで買い物中に母との会話を思い出して泣きたくなって。帰り道には、目に涙が滲んでいて。家に帰って思う事をポツリポツリと言葉にしていたら、突然堰を切ったように泣けてきた。
側に居た犬は、全く状況を理解しておらず普通にじゃれついてくる。
とても相手をする気分になれなくて、部屋に1人で閉じこもって泣いた。
身体中の悲しみを追い出すような勢いで、感情を叩き付けるように声を吐き出して。
やっとか、半年近くかかってやっとか…
泣きながら、そんな風に思った事を覚えている。
全身全霊で泣く、ただそれだけの事ができるようになるまで。
こんなにも時間がかかるなんて知らなかった。
その時すぐに、ではなくて。
何度も何度も何度も、繰り返しその事について考えて。
ずっと時間が経ってから。
やっと、こんな風に泣けるんだ…。
大泣きできるまでに気持ちを消化するのには、これだけの時間がかかるんだ。そう、感じた。
* * *
実はもう1つ思い当たる事があるのだけれど、かなり胡散臭い話になるので…
(しかも、かなりの長文だ。リンク先まで含めると、相当の、だ。)
読みたい人だけが、読んで欲しい。
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ちょっとした好奇心を満たす以外に、何かの役には立たないかもしれない。
それでも書きたいから、書く。感情のままに。
ちょうど大泣きしたすぐ前だったか後だったか、同じくらいの頃に。
お風呂に浸かりながら、しっかり時間をとって自分自身にヒーリングをした事があった。
その時に、フッと母の事についてメッセージのようなものが降りてきた。
※母の死の詳しい経緯については。亡くなったすぐ後に思い出すままに殴り書いた物があるので、詳細が気になる方はこちらでご確認を…。下記リンク先の3を踏まえた上で、話は続きます。
「夏の終わりと、母との別れ」
http://ncode.syosetu.com/n4100dn/
ずっと自分は、母の為に何も出来なかったと思っていた。
あんなにやつれて痩せ細っていたのに、腰痛との言葉を信じ込んで病に気づかなかった。思い至って、「病気の可能性も…」と声をかけていたら。母だって、不安な胸の内を打ち明けてくれたかもしれない。
それに母の性格上…なんて思わずに、もっと強く病院行きを勧めるべきだった。そうしたらあんなに苦しまずに、もっと楽に息を引き取れたかもしれないし。癌の事がわかっていればきちんと母と話す時間も取れて、最期の時間を共に過ごせたはずだ。
母にしてあげたヒーリングだって。
「痛みがなくなったよ、治療院よりよく効いたわ」なんて言ってくれてたけど…どこまで本当だったんだろうか。
「もうこれ以上ヒーリングで出来る事はなさそうだ」
3回目のヒーリングを終えた時に、感じるままにそう伝えたけれど…それを聞いた母は、どんな気持ちだったのだろう。本当に痛みがおさまっていたなら、これで良くなるかも…と思ったんだろうか。それとも匙を投げられ、希望を絶たれたように感じたんだろうか。
あんなもの、何もかもが嘘っぱちだったんだ。
ヒーリングなんてしても母は死んだ、効果なんて無い。
エネルギーなんて物はなくて、何も変わらなかった。
何の役にも立たない事をして、肝心な事には気づけなくって。
母は死んだ、母は死んだ、母は死んだ。
気づけなかった、何の役にも立てなかったのだ…。
母は1人で苦しんで、それなのに何の役にも立てなかった。
こんな気持ちが、どこかにあった。
どうしようもない事だったと、頭ではわかっていても。
何かと理由を付け、ずっとどこかで自分を責めていた、無力感でいっぱいだった。
でも、あの時たしかに「痛みがなくなった」と、母は言ってくれて。
痛みで動かせないと嘆いていたはずの体勢を、目の前で変えてみせてくれた。
触れた部分から、かつてないレベルの"何か"をたしかに感じたし…
その受け止めきれないような"何か"に、勝手に身体が反応して。
そうやって、何をやったかはわからないままだけれども。
何かは、したのだ。自分に出来る事を。
それでも結局母が死んだなら、何の意味があったんだろう。
あんなの、ただの自己満足だ、ただの思い込みだ。
何の役にも立ちはしなかったじゃないか。
倒れた後、意識があった僅かな時間にも。エネルギーを送って…と半身麻痺した口から、つぶやいてくれていたけれど。気休め以上の、一体何になっただろう。だって母は回復しなかった。
お風呂で降りてきたのは、これに関する事だった。
何も出来なかった、本当にそう思っているのか?
亡くなる前にメッセージが残せたのは、どうしてだと思う?
受け入れる時間ができたからこそ、あれは書けた。
あのヒーリングが無かったら、その時間は無かったかもしれないのだ。
短いけれど、時間はあったのだ。それは幸福な事ではないか。
彼女は受け入れた。だから、書けたのだ。
それまで思ってもみなかった事だったから、ハッとしたのを覚えている。
たしかに母は、手帳に書き残していた。
おそらくは倒れる直前の事だろう、幼児のような乱れる字で。
葬儀の段取り、知らせる相手、父への感謝、そして。
医者へ向けた「骨癌だったのでしょう…」という言葉。
ほんの僅かな物だったけれども…それでも病の事を知っていたと教えてくれた、死を受け入れていたのだと残してくれていた。
どのメールのやり取りにも、iPadやパソコンの検索履歴にも。
癌に関する事なんて、全く残されていなくて。
家族も友達さえも、誰も癌だったなんて知らなくて。
だからずっと座骨神経痛だと話していた母が、自分の病の事を知っていたかどうか。家族には知る術がなく、手帳が無ければ全ては推測でしかなかった。
手帳のメッセージが残されていなければ。
家族の、少なくとも自分の気持ちはもっと違っていたはずで。
「癌だったのでしょう」「悔いはありません」
この言葉があった事が、どれだけの支えとなってくれたか…
ただこれまでは、自分に言い聞かせるように(手帳にああ書いていたんだから…)と頭で思い込もうとしていた部分があった。
それがお風呂でのメッセージに、ハッとしてから。
不思議と素直に、それを受け止められるようになっていた。
母は受け入れたからこそ、書く事が出来たのだ。
文字を見るに、本当にギリギリの所でだったのだろうけれど…
自分の死を受け入れ、悔いは無いと書き残せた。
誇り高く、強く、高潔に。
まるで、母の生き様を現しているようだった。
痛くて、辛くて、苦しくて、それでもそういう事が書ける人だった。
そういう母だった、という事を。
母の選択を受け止めよう、そんな気持ちになれたのだ。
降りてきたメッセージは、こうして読み返してみると。「自分も何かの役に立てていたのだ」、という自己弁護にも似た言葉で。無意識に自分を救おうと、出てきたものなのかもしれない。
ただ己を責めている最中には、思い浮かぶ事すらなかった考えだった…というのは確かだし。何より、気を軽くしてくれたのは「自分も役に立っていたのかも」という感情ではなかった。
大切なのは、鍵となったのは「受け入れたからこそ、書けた」という部分だ。そしてそのことを頭では無く、心から信じられた事だ。
それが、自分にとっては何よりの救いになった。
母のした選択は間違いだったのかもしれない。
それでも、母は選んだのだ。己の意思で。
私は、その母の意思を尊重する。
そんな心持ちになった時に、泣いて、悲しんで、母の選択を嘆き暮らす日々が止まっていた。
この心境の変化には、今でもまるで魔法にかけられたみたいな気分だ。
だから自分の体験した事の1つとして、ここに書き留めておく。
相手の意思を尊重する、受け入れる事。何かを心から信じられる事。
それが悲しみを和らげる、きっかけになったという、それだけのお話。
いつか誰かがとても悲しい思いをした時に。
長い夜も明ける日が来るのだと…そう思えますように。
癒やされる日など来はしないと思っても、自分を踏みにじりたいと感じても。そんな自分を許せる日は来るのだ、そう信じられますように。
背負う悲しみが、怒りが、辛さが、重荷が、全て解放されますように。
ここに、祈りを。
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