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写真には日常を、幸福を

これは人物写真、特にご家族での撮影に限った話なんだけれども。
"幸福の気配のある写真"を撮るのが好きだ。

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それはおそらく家族写真というものが、"見返す"ことを前提にして撮るものだからだと思う。

例えば5年後10年後に撮った写真を見返した時。
その情景が物凄く幸せそうに見えたとしたら…

実際その時は結構大変だったり、しんどい思いが続いてたりしていても。
「あの時はあれはあれで、幸福だったのかもしれないな」
って思えるんじゃないかなって。

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人間には、思い出補正という優しさに満ちた機能があるから。


一方で子供にとっては、写真は未来への贈り物だと思っている。

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小さくて愛らしかった、子供時代を過ぎて。
親と衝突するような歳になり、思春期を迎え、大人になって…
いつしか、親の愛を無条件に信じられなくなる。

それは、誰にでも起こりうることで。
そして若い剥き出しの心に感じる痛みは、鋭敏で。


そんな時に「親が子供を抱き締めて、幸福そうに笑っている」そういう写真が1枚あればね。
子供としては「ああ、愛されてたんだな…」って思えるんじゃないかなって。

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今がどうであれ。
確かにこの人は自分を愛しんで愛情を傾けてくれたんだって。

自分なんて、亡くなった母に関しては。
思春期に喧嘩をしていた記憶ばかりが鮮明で…
ここ数年はそうでないけれども。
子供時代となると、途端に恨み辛みの方が我先にと出てこようとして。

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でも写真ってね、いいんだよね。
記憶なんていう曖昧なものと違って、もっとスパーンとしてる。

その中にいる自分は無防備で、母は笑顔で。
どちらも作り物ではない表情をしていて。

そこから伝わる幸福に、疑いの余地なんてない。


写真の、そういう問答無用な所。
すごくいい。


「写真には日常を、幸福を」
それが、自分にとって家族を撮る時の合言葉。

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この仕事をしていて、1番根っこにある想いはきっとそれだ。


ユルリラム
http://yururelam.web.fc2.com/

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