死によって、奪われる思い出
昨年の夏に母が急死して以来、新たな感情を覚えるようになった。
今までになかった、この感覚。
"思い出を持ち逃げされる事の怖さ"、とでも言えばいいのだろうか?
実に当たり前のことなのだけれど…
生きている間に聞かなかった話は、もう永遠に聞けない。
母が子供の頃の話、両親の馴れ初め、祖父母のエピソード、これまで感じてきた事。全てがもう手の届かない所に、持ち去られてしまった。
自分自身の事ですら、知ることができない。
例えば幼い頃の話、己のルーツとなるような先祖の話。
思春期にひどく揉めた時の、母の感じていた事…もう全部全部聞けないのだ。
祖父母は全員、とっくに空のお星さま。
父はこういった事には全く頼りにならないタイプなのに。
ああ、どうしよう。
そんな風に、なぜだかひどく落ち着かない気持ちになった。
今まで聞かなかったんだから。
別に聞けなくなったとしても、何も困りはしないはずなのに。
だけど、急に、足元が不安定になったような気がして。
自分のベースとなるものが揺らぐような。
そこに確かにあったはずの物が、根こそぎ空白になったような。
そこはかとない、不安定感が生まれた。
これまでに祖父母を亡くしてきた時は、このような感覚を覚えることはなかった。それなのに急に、どうしてだろう。
誰よりも身近な肉親だから?
それとも人の話をよく聞いて、しっかりと覚えている人だったから?
母が死に、順当に年齢順でいくなら次は父の番だろう。
そうしたら、もう完全に自分や家に纏わる情報は途切れてしまう。
その時、自分はどんな風に感じるんだろうか…。
そういえば母方祖母が亡くなって、しばらく経った頃に。
母が家系図を作るのにハマっていた時期があった。
もしかして母も、こんな気持ちだったんだろうか?
だからせめて祖父の生きているうち、と記録に残そうとしたんだろうか?
何れ迎える日に、自分のベースが空白になってしまわないように…。
そんな事さえ、もう永遠に尋ねる事はできない。
想像することしかできない。
半年前まではすぐそこに、手の届く所にあったというのにね。
当たり前は、失われるまでその価値に気づかない。
知識をして実感としていて、当然知っているはずなのだけれど。
またしてもやられてしまった。
しかし、おそろしや。
この先、年齢を重ねていくというのは、こういうことなのだ。
周囲との繋がりが死によって1つ1つ断たれていき、自分の内にあるものしか残らなくなる。
これは日々真摯に、できるだけ記憶の欠片を溜め込んでおかないと。
人とはきっちり関わっておかねば、後悔ばかりする事になりそうだ。
そんな風に自戒してしまう、今日この頃。
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