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過去にむけての、メリークリスマス

10歳よりは前のことだったはずなのだけれど…家族に向けてクリスマスプレゼントを用意したことがある。父と、母と、弟にだ。

子供のすることだから稚拙だったと思う。プレゼントはわざわざその為に買ったものではなく…自分の持ち物の中でそれぞれ相手にぴったりだと思うものを選び取り。それらを1つずつ紙でくるんで。帰ってきた時に驚いてもらえるようにと、玄関に包みを3つ並べておいた。たしかその日はたまたま、自分以外の3人が外出していたのだ。

何を準備したかはもう記憶にないけれど。そうして家族の帰りを待っている間、自分がとてもワクワクして誇らしげな気分だったことは覚えている。ただ同時に…自分の期待ほどに、皆が喜んでくれなかったことも覚えている。

今の大人の視点からすれば、父も母も幼い娘のすることを微笑ましく感じたかもしれない…と想像はできる。だとしても、それは子供だった自分には伝わらなかった。

もちろんお礼は言われたし、家族なりに喜んでいたのかもしれない。でも自分の思うようには喜んではくれなかったし、良い子だと誉めたり抱きしめてくれたりということもなかったので(自分から父に飛びつきはしたかもしれないが)。ちょっぴりがっかりした記憶と、それは結びついている。

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ここまで書いて、(そういえば「死は、人を素直にさせる」でも似たようなことを書いていたな…)と思いだし、そこでふと気がついた。自分の想像する"喜びの表現"というのは、いくらか外国ナイズされていたのかもしれない…と。

1歳の頃から絵本に夢中な子供だったせいか、我が家には100冊くらい絵本があったという。その中には海外作品も多数あって、さらには子供の頃に好きだった児童文学も海外物が主だった。だから無意識のうちに"大げさなくらいの笑顔と言葉、それからハグ"そういったものを愛情表現として期待してしまっていたのかもしれない。

そう考えたら「あの両親にそれを求めるのは、少々無理があったかも…」と大人の自分は頭を抱えた。けれど、自分の中の子供は「それはいいね」とにっこりしている。

だから心の中でプレゼントを用意した幼い自分に賛辞を浴びせかけ、ハグをして振り回し最後に頬にキスを落とすと…ますますにっこりと笑顔になった。

少し早いけれど、メリークリスマス。
幼かった、わたしに向けて。


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