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熱源移動とキリギリス的人生

わりと飽きっぽいというか。
1つを長くコツコツ続けるという事が向いていない。

趣味は、と言われると…写真を筆頭にハンドメイドや読書や映画にフィギュアスケート観戦にボディケアと思い当たるようなものがいくつかあるけれど。別に多趣味という訳ではなくて。

むしろ同時進行はできないタイプなので、渡り歩いてきたという方が正しい。1度に1つのものしか愛せない上に、深みにハマる前のある程度の所で満足して。ふと気づけばシューッと熱は冷め、気分も変わっているという。

人間相手にはそうでなくて良かったな…
そう思ってしまうような性格だ。


カメラは22歳の時にフィルムの一眼レフを手にした事をきっかけに始めたけれど…この10数年の間に何度も休止期間を挟んでいるし。

本も子供の頃から数えれば何百冊程度は軽く読んできたとは思うけど、今はネット小説か実用書くらいで。古典文学や伝記などは、もうかなり長い期間手にしていない。と思えば、異様に読みたくなって1ヶ月に50冊くらい一気に読破した事もある。

映画もチェックしていた頃は月に何本も見ていたのが、今は年に数本見れば良い方で。海外ドラマもハマりはしても、よく考えたらシーズン最後まで見通した事が1度もない。

フィギュアスケートは相変わらず見てはいるけれど、自分の中で一区切りしてしまえば細かい情報を追う程の熱は保てない。


いつも何かにはハマっているけれど、何も成し遂げられずに熱は冷める。

ただ輝きは消えた訳ではなくて、休眠期間を終えまた火が灯る時がくる。そうやって長い時間をかけてゆっくりとすこうしずつすこうしずつ、前進していって。決して深みには達しないのだけれど、どれもが適度に満足する程度に保たれている。

昔から手相を見ても運命線に当たるような、綺麗な1本線がない事が気になっていた。切れ切れの殴り書きのような短い線が、かろうじて該当箇所の付近に散らばっていて。

しかし最近、そういうのも運命線の1つだと知った。どうやらこれは「風の吹くまま気の向くまま」的な傾向を表すらしい。

ずっと、何かに深くハマれる人が羨ましかった。熱さを持続させられる人が、眩しく見えた。自分はいつまで経っても、そこには立ち入る事ができない。だけど、これを知った時「あ、なんだ」と。「そういや、そういう性分だよね」と。スッと腑に落ちたような気持ちになった。

「私はアリだ」と思い続けていたけれど、振り返れば自分はずっとキリギリスだったという。そういうことだ。

気の向くままに、気の向く事をして。その時に楽しいと感じる事を大切に。楽しくなくなったなら、手放す事を選択する。それが本分であるならば、"そうあらねば"に拘る必要はない。あるがままのその自分で、いいじゃないか。心のどこかで、そんな風に感じたのかもしれない。

今はもう、手の平を眺めても。
1本線じゃなくてもいいや、って思う。

キリギリスも、そう悪くない。
年月を積み重ねてきた今なら、そう思えるから。




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