良い写真、愛せる写真

"良い写真"という言葉には、少し苦手意識があるかもしれない。
その意味の幅広さに、自分の足元がおぼつかない気持ちになるからだろうか?

他人の"良い"は、自分の"良い"とは必ずしも一致しなくて。
それどころか良し悪しというのは、その定義によっていとも簡単に変わる。

そんな不安定さを持つ言葉だからこそ。
他人の口から出る"良い写真"は何を指すか、とても曖昧で。

その言葉にもたらされる、「相手の規範に合わせなければ」という意識と「自分の感覚を貫きたい」という思いとの葛藤が。ちょっとした苦手意識を運んでくるのかもしれない。

撮るからには、他人に評価されたい。

そういう思いは、常にどこかにあって。
Instagramで万単位でいいねがついている写真を眺めながら、
カメラを手にしたからにはこういう物を目指すべきなんだ…
という気持ちが湧いてくる。

でも、それが自分の辿り着きたい場所なのか?
撮っていて楽しくて、喜びに溢れ、何度眺めても心にしっくりくるような。
そんな写真が、その方法で手に入るんだろうか。

自分が撮った写真を心から愛せるか、という根源的な部分を満たすには。
他人の評価を気にする前に、自分と向き合うべきではないのか。

そんな風な考えも湧いてくる。

自分の写真が好きで、大好きで、何度も見返したくなって。
それならば他人の評価なんて後からついてくるまで、気にしなくていい。

そう自信を持って言い切れるようになるには。
目指すべきは"良い写真"ではなくて、"愛せる写真"なのかもしれないね。

それは、究極の自己満足なのかも知れないけれど。



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