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オタクに向かない熱量の運用とコスパ

年齢を重ねてくると、だんだんと自分で向き不向きが見えてくることがある。その中でもかなり遅くに気づいた不向きの1つが、高い熱量を長期的に維持することだ。

短期的に熱中すること、もしくはマラソンのように緩やかな出力で長期間維持しながら所々で熱を上げること…ならできる。 でも実際の運動と全く同じで、中距離走というものがひどく苦手だ。トップに近い熱量を維持しながら、ある程度の距離を走り切るというのは肉体的にも精神的にも向いていないらしい。

だから1つに特化して集中し続け、誰よりも深い所まで掘り下げるということが出来ない。大体が「まぁ人よりそこそこは…」と思える辺りまで行くと満足して、そこから先へ進むモチベーションが続かない。他の0を50にする作業を始めたくなってしまう。

子供の頃から、「集中力がある・物覚えが良い」という言葉はよくかけられた。短期集中型の自分にとっておそらく、0から50に持っていくのは楽しくて刺激のある作業なのだと思う。しかしそこから先は続けたくとも熱量エンジンがもたないので、低速ギアに切り替えてのスローペースでいくしかない。トップギアのまま突き進める熱量を持つ人を、羨ましげに横目で見つめながら。

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こんな風にいかにも広く浅く向きな自分だけれど、若い頃は自分のことを狭く深くというタイプではないかと考えていた。おそらく小さな世界で生きてきた為に、その広さや深さというものを見誤っていただろう。

けれど少しずつ足を踏み出して世界を知れば知るほどに、興味を持つ物は増えた。"気になる"はいくつも現れて。だけど全てに手を出すことは、時間的に体力的に金銭的に…いくつもの壁を目にして無理だと悟る。それにコスパの面で考えてみるならば。0を100にするよりも、50をいくつも量産する方が楽そうだ。

この思考だけでも、ああ深掘りできないタイプだな…というのが伝わるだろう。だからこそ、逆のことが出来る人には憧れに似た気持ちがある。

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どうしてこんな話を始めたのかというと、17日に発売されたばかりの高山真さん著「羽生結弦は助走をしない」を読んだからだ。

この本には「わかるボタン連打したい!!」が半分、残り半分には「いや、そこまで!?スケオタってそこまで見とるん!!?」と驚かされた。いや本当に細かいツボにまでよく言及されていて、文字だけでは理解しきれずに何度か録画を見返した。

自分の場合は本格的に興味を持ったのが2001年なので、そこそこ長いことフィギュアスケートは見ているはずだけれども…彼のようにターンやエッジさばきにまで細かく触れることが出来る日なんて来る気がしない。それとも、後もう20年見続ければできるようになるのだろうか…。

そういう訳で、この記事は「羨ましい!」から出来ている。人には向き不向きがあるのだ、とはわかっているけれど…飽きずに奥まで踏み込めるという性質にはやっぱり憧れてしまう。



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"好き"を高レベルで維持・運用できる、というのは才能だな…と。大人になってから思うようになりました。中距離が走りきれず、1人中程でみるみるうちに失速していった体育の授業を思い出します…。


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