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今週の出来事(6/7〜6/13)

●時々あるの、こういうこと●

仕事帰りの話。晩御飯何作ろうかなとスマホの画面に熱中していたら、降りるはずの駅を乗り過ごしてしまった。しかも乗っていたのが特急だったから、なかなか次の駅まで止まらない。あちゃーもう何やってんだーってひたすら自分を責めること20分。やっとこさ次の駅に着いた。そこの駅は全然降りたことのない駅で、山を切り開いて急に開発進めました、みたいな駅だった。ぼやっとしている場合じゃない、早く帰らなきゃ!とホームを降りたら、改札横の小さな片隅にユニクロがあった。わたしが今まで見た中で、1番小さい規模のユニクロだった。…あ、そういえば全然合う下着がなかったから、ユニクロに行かないとユニクロに行かないと、って思っていたんだ。でもユニクロって近くになくて、しかも珍しく早く仕事が終わって行こう!ってなった時も、帰る頃にはもう閉まっている時が多い。おお、これは何のご縁か。わたしの体がよっぽど下着を求めているんだなぁ、と思ってユニクロ直行。無事下着を買うことができた。
運命っていうと大袈裟かもしれないけど、時々ふと瞬間にこういったことがよく起こるように思う。失敗した、って思っても思わぬところからいいことが降ってくるというか、そういうことが。「塞翁が馬」って言うんだっけかな、そういうの。幸不幸は予測できない。目の前のイライラや悲しみって何か意味があって起こっていて、その時は全くそうは感じられないのだけど、なにかを知らせてくれているんだろうなぁ。
…自分の間違いを正当化しているだけのような気がするけど、そんな風に考えられるのは自分の唯一のいいところかもしれない。

●喪服のひと●

2日連続で喪服の人を見た。一人は電車の中で。60代後半から70代ぐらいの女性だった。髪の毛を下で結わえていた。喪服を何回も着ているようで、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、なんだか馴染んでいて手慣れた感じに見えた。もう一人は駅のスーパーで見た。40代ぐらいの女性で、特売のお肉を必死に選んでいた。
そういえば、つい最近の話なのだけど、うちの祖母のお兄さんが亡くなったときのことを思い出した。祖母のお兄さんは90歳を優に超えていて、正直いつ亡くなっても仕方ないなぁという年齢だった。亡くなったら遠く離れた田舎に準備をして帰らなければならないため、高齢の祖母としては少々それが億劫なようだった。そしてそのお兄さんが危篤状態になっていよいよやばいぞ、という電話が田舎からかかってきた。その電話を切ったあと、「いやぁ困ったわぁ、今の状態やったらいつ死ぬかわからんもんなぁ〜あ、わたしこの日はちょっと自治会の用事があったし、この日は排水溝の業者の人がくるんやったわ。なかなかこれは予定が変えられへんしなぁ…ちょっとこの週はわたし忙しいから、どうかどうかまだ死にませんように!」とカレンダーを見ながら別の意味で拝みだした。…その姿を離れたところで見ながらわたしは年いったらこないなるんかなぁと漠然と思った。
時々忘れそうになるけれど、死はもともとあるもので。でもいつ起こるかわからない死のことばかりを考えているわけにもいかない。目の前に自分の生活がある。今日の晩御飯何しようかなと思いながらお肉を買わないといけないし、明日は晴れるから洗濯物を干さないととか、仕事で明日は重要な会議があるなぁとか、ぬるっとしたスライムみたいに変化していく生活が、生きている限り続いていく。けれどだんだん年を経るごとに、ペンキを上から上から、塗りに塗り直された生活は、どんどん剥がれていく。若いうちは剥がれたら塗り直すという作業を繰り返すのだろうけど、だんだん年をとると、塗り直さずに剥がれていくものを受け入れられるようになっていくのだろう。それが見えゆく死を受け入れる、ということなのかもしれない。
何はともあれ、久しぶりに田舎に帰った祖母は、残った兄弟姉妹たちと「次に会うのはお互いの葬式やな。それまでお元気で」と言い合って、いっぱい笑っていっぱい話して楽しかったらしい。会いたいうちに会えるひとに会うって大事だなぁと思った。

●今週のベスト飯●

こちらのレシピを参考に作りました。すごく美味しくて次の日のお弁当にもいれました 。
また作る!

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ありがとうございます。文章書きつづけます。