何かができることに対してお金が支払われ、それができ続けることを前提に生計を立てるのは誰に対しても幻想だよ、という件

法律やその他社会的諸手続きでは男女は平等なもの・・・ということには、一応なっている世の中です。が、これは一応のもの、ということに気づいていなければいけません。

受けてきた教育の特性上、男女は平等なものであるというのが、まぁ私くらいの世代では一般的な認識だと思います。事故に遭ったときとか、不動産の契約とか、そういうものは特に男女の差異なく手続きするものですよね。

人間として必要なものに男女の別はないもの、という認識でいましたが、どうも最近、それは違うのだ、同じように手続きや処理ができるものではないのだ、という答えを導けるようになってきました。

代表的なものは働き方でしょう。働くことに対して、毎日同じように動けること、というのは必須事項であるという働き方の価値観を経験してきました。私が経験した職場では「急な休み」というのがあまり歓迎される職場ではなかったです。(まぁどこも共通しているかもしれませんが)

この、「毎日同じように体が動いて、情報処理ができて、結果を出せること」に対してお金が支払われて、動けなくなったら収入ゼロになる……という状態って、おかしいよねということに気づきました。

動ける人はいいですよ、体調も崩さず、家族の予定も入らず(入ったらほかの人に頼める環境があって)、毎日同じように出勤して勤務して・・・というのが、息を吸って吐くようにできる人は問題ないでしょう。ですが、そもそも「毎日同じように体が動く」という人のほうが少数派なんだと認識でいたほうが、社会って幸せになれるよねということに気づきました。

病気であるとか、用事であるとかの場合に、収入がゼロになってしまう働き方は、健康でなくなったとかいう場合に生きていけなくなってしまうんですよね。

何かができることに対してお金が支払われるのは当然だと思っていましたが、そこを基盤として、なにかができ続けることを前提に経済的生計を維持するということは、誰に対しても幻想なんです。

代表的なものとして、女性の妊娠、出産、子育て。体が動くことに対してお金が支払われているなら、妊娠や出産で動けなくなった瞬間に収入ゼロになってしまいますよね。(種々の制度はあるとしても)経済的に多種多様なものが必要になるのに、なにかができ続けることという、歩合の働き方を当てはめるのは愚かな選択肢です。

職場で休むときにいい顔をされなかった経験が多いですが、そもそも、休んだらお金にならないという価値観を是としているのが不幸の原因だな、という結論に今はなっています。

できるようになるために努力し続けるのも、「できないとお金がもらえないから」という恐怖がずっと根底にありました。しかし、そもそも、「できなければお金にならない」という価値観を持っていることが、その恐怖の原因なんですよね。

しかも、「できなければお金にならない、できなくなったら収入がゼロ」というのは、今第一線で活躍するような人たちにも、同様に当てはめることができます。今はできているからいいかもしれませんが、できなくなったときにその価値観が人を苦しめます。

「できなくても大丈夫」という価値観が浸透していけば社会的にも平和になりますよね。こういう自分もまだまだ「あれこれできるようにならなきゃ」という考えが頭をよぎりますが、根底の「できなくても大丈夫」を優先できるようになっていければと思います。


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