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あなたは何のためにシャッターを切りますか?

あんまりおもしろくない話になるかとは思いますが、このところずっと考えていたことを書いてみます。

ここ、noteも含めて結構な数の創作をしてきました。
ただ、思い起こすと、「なんのために創作をしているのか」についてはあんまり深く考えて来なかったことについて、少し後悔しているところがありまして。

その時々、構えるカメラや握る筆やキーボードなどなど、使う機材やシチュエーションも様々です。
はじめたばかりの好奇心が半分、機械や機材、慣れない質感のモノを触ること自体への面白さ。
誰かに頼まれごとをされて、オーダーに従ってモノを作る。

イベントごとでたまたまカメラを持ってきていて、もしくは撮影するためにカメラを持ってきて、その場を写真に収める。
絵画教室のグループ展に間に合わせるために、闇雲にキャンパスに向かう。

色々あったなあとは思うのですが、覚えている目的というのは大概、対外要因があってそのために行うことが多かったです(ダジャレですお)。

このところ本職が忙しくなり、本格的に創作をする機会が減っていたのですが、何故かカメラだけは手放さずにずっと撮ろうと撮り続けています。

つまるところ、今の目的は「撮り続けること」そのものが目的になっているかんじ。

わかりづらいたとえをすると、ほそながーーーい白い紙に、HBのえんぴつでひたすら点を打っていくような作業。
たまにえんぴつは折れるし、まっすぐ綺麗に点が打てるわけではないし、そもそもその点を打つ作業そのものが楽しかったのかそうでもなかったのかよくわからなくなってきたりなんかして。

機材を買い替えたりすることでなんとなくリフレッシュしてまた点を打つ事が楽しくなることもあるのですが、消費による環境の変化って、刺激にこそなれ、本質的に点を打つ作業が変わるわけではないので、いずれまた同じことに陥ったりします。
えんぴつがボールペンに変わるだけであったり、ひどいときはHBが2Hに変わるだけであったりといったレベル。

環境や機材は重要なものではあるのですが、そもそもの目的が「点を打つ」ということであれば、いかな高価な機材を使っても、「紙に点を打ったもの」以外は出来上がらないのだな、ということが最近わかってきました。

であれば、結局のところ必要なのは目的だったのだな、というところに今更到達したところです。

点を打つ行為、シャッターを切る行為を、単なるJpeg画像を産むだけの繰り返しの行為でなく、なにがしかの結果を生むための一点とすること。
切り取った空気が何処か別の場所で意味を持つこと。

そういえばここは、目的を探すことが出来る場所だったなぁ、と今書きながら思い出しました。

創作をしている皆様、気が向いたら、皆さんの目的を聞かせてくれると嬉しいです。

以下、花粉症への愚痴です。

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