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「じゃあ何か描いて見せてよ」という人の無礼さ

 絵を描くのが趣味だ、と言うと「じゃあ何か描いてよ」という人がいる。僕自身は絵が描けないから、そう言われたことは無いけれど、似たような体験はある。僕の場合は「寺生まれ」だと相手が知ると「じゃあちょっとお経読んでみてよ」だ。似たような体験をしたことのある人はきっと多いと思う。中には「じゃあちょっと何か描いてみてよ」と言ったことのある人もいるかも知れない。

 この「じゃあちょっと何か描いてよ」という発言に、多くの場合きっと悪気はないのだと思う。ごく単純な「本当だろうか」「描けるとしたらどの程度描けるのだろうか」という疑問なのだと思う。でもそうした疑問を、つい言ってしまうことが、実は失礼な事だと思う。

 ここが微妙なところで、疑問を持つこと自体は自然な事だと僕は思う。「いままでそんな趣味があるなんて知らなかったぞ、本当だろうか」といった疑問が自分の中に湧いてくる事は止められない。そうではなくて、相手に対して自分が抱いた疑問を何でも口にすれば良いというものではないのだ。たいてい自分では気づいていないけれど(だから口にするのだ)、「じゃあ何か描いてよ」という形で露出された相手への疑問はちゃんと相手に伝わってしまう。「じゃあ何か描いてよ」という言葉は「お前の能力を疑っているぞ」というメッセージとして相手に伝わってしまうのだ。

 礼儀とは敬意を表する仕草や態度の事で、ここでは本人の内面がどうかということは問題にされていない。内面で思うことは止められないから、身体的な作法で敬意を表明しよう、というのが礼儀の発想だと言える。僕たちは自分の内面の感情を大事にしがちだけれど、それを素直に表明する事が礼儀正しい事だとは限らない。とても正直な事だとは思うけれど、それは礼儀ではない。

 「何か描いてよ」という気持ちは素朴なものだ。でも実はその素朴な気持ちが、いったいどういう内容のものなのか、それがどんなメッセージとして相手に伝わってしまうのか、口にするのをちょっと我慢して考えて欲しいと思う。きっと多くの場合、それは「相手の能力への疑い」が素朴な気持ちの内容だ。そんなメッセージを友達に積極的に伝えたい人は少ないと思うから、どうか感情的にならずに振る舞って欲しいと思う。

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