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線より点で考える

本稿では、点と線、思考法の違いについて、異分野(将棋)からの気付きと新たな視点の提示を試みたいと思います。

点より線の間違い?

あれ?線より点の間違い?と思った方。
いいえ、間違いではありません。

「線より点で考える」をググってみたら面白いですよ。

ほとんどが、点ではなく線で繋げましょう、もしくは面で捉えるべし。そんな思考法だったりアドバイスが、わんさか出てきます。「線より点」なんて話は出てきません。まあそうなりますよね。

私も「点より線」を否定したいわけではありません。その通りだし、正しいと思っています。

何言ってんの?て感じかもしれませんが、どっちも正しいはずです。ただ、適用できる場面やスコープが違うと思っています。

流れで考える

突然ですが、私はそこそこディープな観る将(観る将棋ファン)なので、将棋を引き合いに考えてみたいと思います。

将棋はたった81マスで繰り広げられる単なるボードゲームです。ある意味ものすごくせまーい世界です。でもそこには宇宙がひろがってるんです。シンプルゆえに真理が立ち昇る、そんなこともあると感じています。その辺りはおいおいマガジンで触れるとして…。

実は将棋の世界では、点と線という話はかなりよく出てきます。どんな場面で?

「常に」です。

皆さん将棋がどんなゲームかは、何となく知ってますよね?

ゲーム理論の分類では「二人零和有限確定完全情報ゲーム」というくくりになりますが、要は二人で交互に一手ずつ指して必ず勝敗が決まるゲームってことです。

この、一手の指し手を考える場面。トランプゲームでも一緒ですが、ゲームの始まりから終わりまで、常に次の一手を考える場面の連続ですね。

プロ棋士は、次の一手を考えるとき、更にその先の先の場面まで想定して手の良し悪しを考えるわけですが、一方で現在の場面に至るまでの指し手の流れも勘案すると言われます。

要は過去の文脈をふまえて判断を下すわけですね。これは思考法でいうところの「線」で考えることにほかなりません。

「点」のクローズアップ

ちょっと待て。やっぱり「点より線」じゃないかと。

たしかにそうなんです。将棋も人間対人間のゲームにおいては、流れとか勝負の呼吸みたいな要素があるんですね。偶然性や運の要素がかなり少ないと言われる将棋ですら。

でも、AIの登場が確実に変化をもたらしました。

それが「点」のクローズアップです。

将棋界に革命を起こしたと言われる羽生善治九段を筆頭に、もしかしたら、以前から綿々とその要素は存在したのかもしれません。

それが、AIによる局面の数値化というデジタルが導入されたことで、再認識されたのです。

局面(場面)の数値化

AIが、将棋のある局面を数値化するというのは、どういうことか。

端的には、AさんBさんどちらが勝ちやすいか、その有利不利を数値で評価するということです。このとき、過去にどういう手が指されたか、いわゆる文脈は無関係です。

ただその場面のみを初見のようにフラットに冷静に見たらどうなのか。

現在は、将棋対局の解説にもAIが導入され、評価値がリアルタイムに表示されることが多くなりました。さらにAIは、推奨手順(次にこうなってこうなってこうなるという最善の選択肢)まで指し示します。

解説役のプロ棋士でさえその意味が突きつけられるようになりました。

従来なら、そこまで指してきた「手の流れ」から考えると、自然なのはこれ、これは過去否定になるから悔しいやりたくない、という考え方が自然でした。

AIはそれをばっさりデジタルに否定するわけです。きついですね。

場面とスコープの違い

それで起こったことは、「線」で考えていたはずの将棋士が「点」で考えることの強さを取り入れるという選択です。

現名人の豊島将之九段を筆頭に、ほとんどのプロ棋士がAIでの研究を取り入れいると言われています。判断に迷うような局面をAIに「点」で評価させて局面の最善手は何なのか確認し、自分の判断基準をアップデートするのです。

一方で、プロ棋士は「大局観」というものを非常に大事にします。それはAI時代でも変わりません。

ボードゲームに置いて、部分的なせめぎ合いにとらわれずに、全体の形の良し悪しを見極め、自分が今どの程度有利不利にあるのか、堅く安全策をとるか、勝負に出るかなどの判断を行う能力のこと。 大局観に優れると、駒がぶつかっていない場所から意表を突く攻めを行うなど、長期的かつ全体的な視野のもと手を進めることが可能となる。
引用:Wikipedia「大局観」

うーん。Wikipediaの説明はどちらかというと古い時代の大局観のような気もしますが…

「点」で考えることが普通になるとすると、そもそも対局相手に「点」で考えることを難しくさせる。これは「局面を複雑化する」といいますが、逆に自分にとって「わかりやすい局面に誘導する」ことを狙っていくことも大局観の一つと言えるかもしれません。

要は、局面という「点」の要素だけでなく、前後の流れや判断のしやすさといった別レイヤの視点まで加味するということで、これが将棋でいうところの「線」や「面」で考えることなのではないかと思います。

すべて私の観点ですので、実際にプロ棋士の方にご意見を伺ってみたいものです。

身近に置き換えると

なぜこんなことを考えたのか。私自身、毎朝の散歩を習慣にしているのですが、雨が続いたりして2、3日ルーチンが続かない日があると、ついつい流れに乗ってやめたくなったりするわけです。まあこの場合は単なる慣性かもしれませんが。

いずれにしろ、その場面での最善手は明らかに散歩に行くことですね。「線より点」で考えなければいけません。

しかし、そもそもその習慣を続けることの意味があるだろうか?前はそれが優先だったがいまは状況が変わっているということもある訳です。俯瞰的に大局観で判断してみる必要性もあります。

あまりに「点」で考えることに否定的な情報ばかりだったので、あえてアンチテーゼ的なポストを考えてみました。

とはいえ、実社会や生活の中で「点」や「線」をどう捉えるかは定義次第ですし、どちらかが全否定されるものでもありません。

気になった方は気軽にコメントを寄せてください。皆さんの考えでさらに思考が深まるのではないかと思います。ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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