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すて

やべえ
人生めっちゃたのしい。 


今日の夜、
コンビニで138円のカップラーメンを
祐次郎と2人ですすりながら
今後の人生のことを話し合っていた。


おれらはもっと人生に本気になれる!


今日はすっげー集中できてる日。


周りの音がいつもより小さく聞こえ
自分との会話がより流暢に大きく
心がいつも燃えたぎっている感覚。


すごく冷静で情熱的。


この感覚はとても良い状態。


2月は予想通り状態がいい日は少なかった。


だから3月後半から4月はきっといい時が来ると
思っていた。


毎日集中出来ている。

誰かの感覚ではなく、自分の感覚で。


前回ノートで
「逃げ」ってなんなんだろうと考えた。

この「逃げ」について自分なりの答えが今出た。


全てに集中する。


ビジネスや仕事をするのも楽しいけど、
それだけをすることが人生に集中すると
いうことではない。

毎週のアニメも見るし
こだわりのコーヒーも淹れるし
しっかり寝るし
美味しいご飯もつくるし
音楽のたしなみも忘れない。

全てに集中する。


遊びも仕事も境目はない。

ただただ好きだから。
ただただやりたいからしている。


いつだって余裕を120%をもつ。

きつくなったらコンフォートゾーン120%

もっと削れるかも知れないけど、
余裕のほうが大事。

感覚がそう叫ぶ。

意思決定はただの選択。

選択が正解かは誰にも分からない。

正解にするのはあなた次第。


日常の積み重ね。

ミラクルや奇跡は起きない。

最後に残るのは自分の理念。


ぼくも祐次郎も怒る時間すら残されてない。

ましてや他人を恨んだり、愚痴る時間はない。

そんな事をするなら希望をつくるか届けよう。



やりたい事に対して
やらないといけないことは明確。

それでもやるか/やらないかは自分次第。


ねてた。

ご飯も作ってあとは食べるだけなのに
気づいたらベッドの上。


せっかく作ったご飯はさめていた。


温め直す。

まるであの夜を思い出すかのように。


完璧に戻るわけではないと分かっていても

もう一度あの感覚を体験したい。



そういえば最近はよく希望をみる。


こう、心がぞおおおおおって

唸るような感覚。


どうやらぼくはしっかりと一般人で

平凡で凡人らしい笑笑

USJに行ってて分かった。


案外前から分かってたんだけど、

隠したかったんじゃないのかな。



まあいいや笑



たまに天才なったり凡人になったりと

忙しない日々を過ごしていますが、

これが人間なんでしょう。



この前は感情と対話しました。




不安さんこんにちは!


いつもありがとうね。

君はいつもぼくをいじめてくるし、

動けなくさせる悪いやつみたいな感じだけど

いつもピンチを教えてくれるツンデレなやつだよね。

まあまあな頻度でぼくは君に負けてしまうけど、

結構感謝してるんだよ。

多分この感情がなかったら僕は

弱くはなれてないんだろうね。

人に共感や寄り添いも出来ないんだろうね。

ありがとう。

もっと君と丁寧に向き合うよ。

丁寧に向き合えば

きっと君とも共存ができる。

普段は楽しいのが好きだけど、

君が居てくれると安心して楽しめる。

一緒に楽しんでいこうよ! 



朝一は安めのコーヒー。

昼過ぎは豆から選ぶこだわりのコーヒー。

最近はホットドックにハマってて幸せだなと感じます。


日付は変わり、春を迎えます。

自分の中でおもしろいと思う感性の基準はどこなのか。

という話が出てきて、


リアルに近い日常✖︎違和感だったのが判明しました。


街の中でのソファー。

服やリュックを持ちながら浴びるシャワー。

無料で配る飲食店。

色鮮やかな世界と白黒な自分。


シンプルさがすごいのは

やはり違和感にあると思う。


これが、人間の本能的に目の止まる仕組みだから、、、、


とか結構どうでもよくて、

ただ誰かの正解で生きたくない反骨心なんだと思う。



なんでもかんでも型にはめて遊ぶ

パズルのようなものを人生とは言わないと思う。




自分で選べるから楽しんだし、

誰かの答えだけで生きていても

その人は責任をとってくれないよ。


結局楽しい人生を送りたいと思うのなら、

自分でワクワクする道を選んで正解にしちゃえばいい。


そこでリスクや責任を取らないととか、

結果論だし、何を当たり前の話をしているんだって思う。



君の今までの人生だって良いことばっかじゃなかったはずだ。


自分で決めた

進路や習い事や友達や恋人だって

良いことだらけじゃない。

その良いことだけじゃない部分をリスクとか責任と呼ぶのなら

勝手に背負えばいい。


常に不完全であることを認識する。

その違和感を楽しむ。


日常で面白いことなんて初めだけだよ。

その日常の違和感に気づけるかどうかで

毎日の楽しさは大きく変わるんじゃないのかな。



リーダー完璧さを求めない方がいい。

常に不完全さを持ち続け、

支えてもらって、

支えてあげる。


リーダーが完璧でいようとすると

その周りだって影響されちゃうよ。



最近は価値の大きさなんか本当にあるのかなと思う。

たまに会う同年代の人に

〇〇さんと話してて今日は価値でかいです!
学びとかめっちゃ貰えました!

っていう人がいるんだけど
僕は正直少し苦手。


学びや成長を追い求めることは確かに大事だけど、

結局それでしか満たせてないんだなと残念に思う。


雑談で話す時間も

すごい人と話す時間も

寝ている時間も等しいはず。


それにわざわざ価値の大きさをつける必要なんかないよね。

周り巡って、

雑談の時間が大事だったり

寝ていた方がよかったことだって

たくさんある。



価値の大きさってなんなんだろう。

4/2 その答えを少し探してみようと思う。



それがチュリトスのチャレンジなんだと思う。



それと、不完全でいいっていう少年さ。

わかさは心

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