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セカライ東京感想&キャラクターの実在性について考える

 あの日プロジェクトセカイの世界に飛び込んでいた、それを自分だけでなく観客が皆感じていた。

 初めて参加したプロジェクトセカイ COLORFUL LIVE(以下セカライ)は衝撃の連続で感情も体も落ち着くことのないジェットコースターのようでとても楽しく、ライブの最中に次回もまた参加しようと決めるほどだった。キャラクターが消える瞬間、別れを惜しむため息が幕張メッセに響いていた。自分も「また会いたい」と心から思っており、初めてライブに通い始めた頃の気持ちを思い出した。何故これほど感動したのかを考えていく、細かい用語の解説は省いた為リンク先を参照いただきたい。

 演者による劇中のライブ映像を背負っての再現パフォーマンス(アイマスやプリティーシリーズ等)はこれまで様々な場所で見てきた。またDMM VR THEATER等キャラクターが投影されるライブも何度か見ている、しかしそれらよりも踏み込んだ没入感がセカライにはあった。

 没入感を高めたのはバーチャルライブがあるからこそではないか。キャラクターメインのソーシャルゲームは習慣的に触れる特性から、日常と紐づいて記憶に残りやすい。バーチャルライブを日々見ているアバターの自分と、現実のライブに参加している自分がリンクし現地と非現実の境界を曖昧にする。尺が限られるリアルライブの穴を普段参加しているバーチャルライブの情報が埋めていき、見ていないはずのLeo/Needが演奏するライブハウスを、ワンダーランズショータイムのステージを脳内で形作っていく。これには演者がキャラクターのパフォーマンスを沿うのとは全く違う感動があった。

 プロジェクトセカイには「背中を押す」事がテーマになっていると思われる、キャラクター達はヴァーチャルシンガーに見守られながら物語を進めプレイヤーはその姿に日々を生きる糧を得る。そんなテーマはセカライにも共通していた。前回配信を視聴した際にはわからなかったが、ソロパート等バンドメンバーにもスポットライトがあたっていたのは良かった。ライブに足を運び感動を共有する、Twitterでは今回が初ライブというツイートも見かけた。バーチャルライブからリアルライブに導線が引かれることで普段はライブに参加しない人も参加しやすくなっているのだろう。

 演者によるパフォーマンス、キャラクターのパフォーマンスどちらにも違った魅力がありどちらも素晴らしい。そう思わせてくれたセカライ東京だった。

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