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自分のコア

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コアなもの、大事にしたいこと
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記事一覧

心紋に触れる

作風というか、文体というか。その人らしさというか。いつものその人というか。っぽさ、というか。口調というか、癖というか、風味というか。雰囲気というか、気配というか。色というか。

長期間フォローしている人の書いた詩やエッセイや日記などを読んでいると、なんかこう、やっぱりその人のだなと分かって、変わらないものがあるような気がしてくる。

書く方はどうしたってそうなってしまって、無意識でやめようにもでき

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迷路

小学生の頃、自由帳によく迷路を描いて遊んでいた。迷路は、たどるのも好きだったが、描くのも好きだった。友達が休み時間に好きなキャラクターの絵などを描く傍ら、私はひたすら迷路を描いては解いた。一時は迷路作家になる気でいたほどだ。

迷路は、楽しい。
こうだったら、ああだったら。ありとあらゆる分岐を考えて作っていくのが楽しい。ワープポイントでページをまたいで、先があると思わせながら、行き止まりにしたり、

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浄化

先日、私が敬愛するアーティストのライブ配信があったのだが、例のごとくしばらく余韻に浸っている。前にもライブの度に同じようなことを書いているが、今回も書いてしまう。

今年はいろんな感情の波にのまれすぎて、感覚がすっかり麻痺しきってしまい、いつもならあるはずのそわそわやわくわくさえあまり湧いてこないまま当日になった。楽しみは楽しみだったのだが、どこかぶ厚いガラスのようなもので遮られている楽しみであっ

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向いているとか、いないとか

仕事でも社会生活でも生きていくことについても、今やっていることが向いているとかいないとか考えだすと、たいへん苦しい気がする。

向いているってどういうことなのか。苦痛を感じずに物事を進めることができる、ということなのか、楽々とうまくできるということなのか、自らもしくは誰かの要望に応えられるということなのか。そのどれもを満たすことなのか。それならば確実に向いていない。こんな自分に向いていることなんて

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やさしい、について。再び。

読むことは引き続き低調だけれど、少しずつ考えられるようにはなってきた。

昨日、ある人とことばを交わして、少し立ち直ってきたこともあり、それから考えたことがあり、諸々を忘れないように書いておこうと思う。

前にも書いたが、このところ、私が「やさしい」と思うこと、思う人の、一体何が「やさしい」と感じるのかをずっと考えている。

やっぱり一番は、私のコアのコアの話を聴いてくれたこと、私のつらさを溶かし

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やさしい、について。

ここのところ、私にとっての「やさしさ」とか「やさしい」について考えている。

この人はほんとうにやさしいな、とこころの底から思う人がいるのだけれど、それはどういうことなのか、どこにそう感じるのか、なぜなのかっていうのを考えているうちに、なんだか「やさしい」の感覚がわからなくなってしまった。なんというか、だんだん、「その人が好き」との違いがわからなくなった。私の中で、「好き」と「やさしい」が、赤と白

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やさしくないじゃがいも

小学校の頃の話。

一時期、ブラジルの子が5、6人いっぺんに同じ学年に転校してきたことがあった。留学生ではない。新しくできた工場に働きに来たというブラジル人の子どもだった。
四半世紀前の田舎にあっては、「外国人」というのはかなり珍しく、今思うと受け入れる学校側も何をどうしていいのかわからなかったんだろうなと思う。同級生になる私たちもまた、どう接したらいいものやら、よくわからなかった。それでだいぶ酷

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抜け殻遊び

昨日は散歩中に蝉の抜け殻を見つけて、小一時間眺めて過ごした。
昔から蝉の抜け殻が好きだ。

生きた昆虫は、眺めているのは好きだが、少しこわい。生きていることが、こわい。
触れるのは平気なのだが、持っているのがこわい。動くものであることがこわい。飛んだり跳ねたりもがいたり、とにかく意思がある。掴んでいる間にじわじわと恐ろしくなってきて、手放してしまう。
標本も結構こわい。かつて動いていたものであるこ

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食べごろ

ずっと気になっていた本がある。

絶対読むべきで、読まなきゃいけなくて、おそらく知りたいはずの何かが確実にある、と、分かっている本。
本(とくにロングセラーじゃないもの)は出会ってピンときたら買っておかないとすぐ棚から消えるので、買ってだけはあった本。

でも、ずっとずっと開けなかった本。

敬遠していたというのではない。
苦手というのでもない。
栄養満点、食べたら絶対おいしいものだというのはわか

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外に引きこもる

今日は、晴れそうだから山に行く。

最近多少階段で筋トレしているとはいえ、まだ全然体力ついていないので、山頂を目指すのじゃなく序盤にある滝を見に行く程度。2時間くらいのトレッキングの予定。

滝はいい。ずっと見ていられる。全体を見ていてもいいし、流れる水のひとかたまりの飛沫に注目して行く先を追うのも楽しい。

この間、蛍を見に行った。あじさいも見に行った。
ああいうのも、いつまでも見ていられる。何

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詩を書く人へのラブレター

私は詩そのものも好きだが、詩を書く人も好きだ。
(※ここでの詩には、古今東西の各種詩歌、詩的表現やほんとうを含んだ文章を含めます)

詩を書く人は、他人への諦めに染まりきった私に、もっともきれいなものをくれる。

詩を書く人の何が好きかというと、詩を書く人は、どうやったら「これ」を正確にあらわせるのか、どうやったら「これ」を写せるのか、どうやったら「これ」を言語世界に翻訳できるのか、そういうことに

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解毒の旅路

以前に、「なぜ詩が好きか」ということを書いた。

そのときの答えでは「詩はほんとうの純度が高いから」、ということだったのだが、よくよく考えてみると、それでは答えになっていなかった。

ほんとうの純度が高いものがではなぜ好きなのか、ということを次に考えなければならない。

最近このことをずっと考えていた。ぐるぐると。このぐるぐるの中身を少し書いておく。

===

まずは「ほんとう」について。

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詩と大学と私、そのorigin

高校のころ、私にはやりたい学問があった。

大まかに言うと、ある文化圏の古典の詩について。どういうことを意識して過去の人は詩を作っていたのか。「いい詩」というのがあるとすれば、それはなんなのか。そういうことに興味があった。
私が、いいな、好きだな、と思ったことの必然性というか、理由みたいなのを確かめたかった。

きっかけはとある外国映画で、物語の核として詩の朗読シーンがあった。吹替版でもたしかそこ

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縁起物のちから

しばらく前から、家にアマビエだるまがいる。白河だるまのかわいい子。

ウイルス対策としては直接的にはどうにもならないかもしれないが、いつも帰るとほっこりして、心の支えになる。
そんなものが何になる、と思う人もいるだろうが、この「ほっこり」の力はばかにできない。
不安や寂しさが薄れるし、なにより、私は確かに誰かに健康を願ってもらったのだという事実を、毎日胸に刻んで確かめることができる。

世の中でた

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