疎外感の正体

私には、地域への所属の感覚がない。
日本国民だとは思っている。東北人だとも思っている。しかし、その先に分割した、県民や市民やもっと小さな町内会のレベルになると、全く帰属意識を持たない。
生まれた土地でないところに住んでいるせいもあるのだろう。親戚、同級生など、知り合いのいないところに来ているので、特に愛着もなく、今の居住地に住み続ける理由も実はこれと言ってない。家も賃貸だ。来月、来年、同じところに住み続けていることを約束できない。家を建てたりマンションを買う未来は全く見えないし、買いたいとも思っていない。
自治体の制度、役所が面倒を見てくれること、税制や選挙など、それらはすべて、その土地にずっと居ること(住民登録)を前提に設計してある。何を当たり前のことを言っているのかと思うかもしれないが、これが、ものすごく個人の感覚と乖離している。
その土地に居ること、それも1月1日現在の所在でピンどめしたり、3ヶ月間移動していないことを条件に選挙に参画できるかどうかを決定するのは、どこの誰でもない、移動しないことを保証できない私からしたら、疎外感がある。
私の今の勤め先は、地元出身という人が多く、割と地域の一員である意識のある人たちばかりだ。持ち家や子どもの有無もまた関係するのかもしれないが、私のこの漂流している感覚を共有できないことを少しもどかしく感じている。

ここまで書いて今ふと思ったが、正規と非正規の断絶も、同じ構造なのかもしれない。
同じところにいる未来が見えないなかで、ずっといることを前提に制度が回っている。
そこに、内と外のうっすらとした壁ができてしまう。
それが、疎外感の正体かもしれない。

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