数が多いとひと仕事

数量が多いということは、それだけでものごとの難易度を上げる。
一つ一つはごく簡単ですぐに終わるようなことも、数が多くなると結構な時間がかかり、一仕事になる。
少ないうちは手作業で何とかなるものも、数が多くなるとやってられなくなる。

この、やってられなくなる臨界点はどのへんか、ということに少し興味がある。
人によって面倒くささ耐性に差があるので、臨界点も相当なばらつきがありそうである。

もし人より忍耐強くて面倒さへの耐性がありすぎると、その時はいいことのように思えるのだけれど、その人から次の人へ仕事が引き継がれたとき次の人がたいへん苦労する。
かといって、辛抱ならなくなってがらっとやり方を変えたりすると(例えばソフトを入れたりマクロを組んだり)、その変えたやり方自体の保守管理が必要になってきて、そちらのほうが難しく感じる人が多いとそれはそれで引き継げなくなる。

何かを変えていっとき楽になったはいいが、それを引き継げなくてまた元通りになるケースはほんとうによくある。
引継ぎが難しくて作業量の負担が少ない方法より、引継ぎは簡単だけど作業量の負担が多い方法の方が残りやすい気がする。
カイゼンはそのあたりの微妙なラインを読んで誰にでもできそうな範囲で業務量を減らす必要があるのでたいへん難しい。

よく、紙による申請が今時どうなんだと取りざたされたりするが、紙の処理がなぜ残るかというと、それがもっとも理解しやすく簡単で残しやすいインターフェースだからだ。
紙の場合、そこに物として在ることが視覚的にわかることや、一覧性・可読性の高さ、すぐに作成できること、補記・貼付・添付のしやすさ、原本が一つしか存在しないことによる証拠としての安心感などの点は、やっぱり優れている。そして何より、誰もが紙というものに慣れていて扱いやすく感じている。比較的バリアフリーな媒体なんである、紙は。

わかっている。わかっているよ。わかっているけれど。でもね。
提出された書類に埋もれて、提出チェックし整理し並べ替えとりまとめる面倒くささといったらない。
(私は日によって面倒くささ耐性が違う。ダメな日は本当にダメだ。)
量が少ないうちはいいのであるが、何十何百となると辛いんである。
面倒くさいことを誰かの代わりにやるのが仕事だとしたら、それは確かにれっきとした仕事なんだけれども、どうにかならないものか。
紙をやめたい。手入力をやめたい。やめたいんだけれども、やめるハードルが高すぎる。やめてもきっとまた紙に戻る。
引き継げなかったりみんなができない方法だと結局だめなんだ。

はぁー。
葛藤する毎日である。

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追記

余談だが、事務職は、この面倒くささ耐性が異様に高い集団だと感じる。よくやっているものだと思う。
だから、やっぱり、事務は誰にでもできるかというとそうでもないと思うんである。

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