じーちゃんの話

お盆で思い出すことは、母方の祖父のことだ。もうだいぶ前に亡くなっているのだが、私は祖父が大好きだった。
せっかくのお盆なので、長くなる気もするが、祖父とのことや亡くなったときのことを、記憶のままに書き付けておきたいと思う。
「祖父」なんていうとよそよそしい感じがして思い出す感覚にそぐわないので、ここでは「じーちゃん」と表記する。
(※書いたら思いのほか長くなってしまい、葬式関係の話が出てくるのもあり、途中から有料にしています)

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一.

そのじーちゃんは、背が高く、白髪で、痩せ型で、私は笑った顔しか覚えていないが、とにかく優しくて、私を可愛がってくれた。
じーちゃんの家は、実家からは電車を乗り継いで2時間くらいのところにあって、じーちゃんの家には毎年お盆と正月に遊びに行っていた。じーちゃんはいつも駅まで迎えに来てくれて、デパートの食品コーナーに立ち寄りながら、家まで歩いて帰る。私はその行程でいつもじーちゃんの片手を独占していた。家でも、じーちゃんの膝の上や、じーちゃんの座椅子のとなりの席は私の定位置で、一緒にテレビの時代劇や新聞を見たり、はさみ将棋をして遊んだりした。小さい頃はお風呂もよく一緒に入って、身体を洗ってもらったものだった。

じーちゃんは、終戦後に焼け野原で財産も没収されてゼロから生きてきた人で、いろんな仕事をしてきたらしかった。果物屋をしていた時期もあるらしく、スーパーでスイカを買うときには目利きをして「これが甘い」と選んでくれる。そして、棚に置かれたスイカがずれていると、決まって正しい位置に直していた。職業病だねと母とよく笑った。
字も達筆で、筆まめで、とても几帳面だった。いろんなことを細かく記録する。何かの日付が至るところにメモしてあった。新聞広告で裏が白い紙は、半分に切って二つ折りか四つ折りにして引き戸棚の奥に収納していた。私はお絵かきするのにいつもその紙をもらっていた。あの几帳面さが、少しでも私にも遺伝すればよかったんだけどなぁと、よく思う。私は几帳面からは程遠い人になってしまった。
それから、じーちゃんといえば、なのだが、じーちゃんは戦争を経験している人なので必ず出かける前にトイレに行っていた。出すものを出すまで20分は出てこないので、私やいとこたちはじーちゃんがトイレに行く前にトイレを済ませなければならず、朝はボヤボヤしていられなかった。いつもトイレ争奪戦である。

母たちの父としてのじーちゃんは、母の話だといろいろ難しいところもあったようなのだが(一人、伯父にあたる人が折り合い悪くて失踪)、私ら孫たちにとってのじーちゃんは、優しく、穏やかで、紳士なじーちゃんだった。

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