事務は楽で簡単な仕事か

大学職員・事務職に対する印象は、どんなものだろうか。

どこにおいても事務職は全般、楽で誰にでもできる簡単な仕事だと思われがちだが、(実際、面と向かってそう言われることもあるのだが)私はそうでもないと思っている。

いろいろな処理フローを把握し、遅滞なく的確に処理し、おさまるべきところにおさめていく。
決められたとおりに間違いなく処理するためには、そもそも決められていることを知らなければならないし、日々起こる事象をそれに当てはめ、実際にその通りにきっちりと実行することが必要だ。
原理原則に当てはめられないことも現実には結構起こるので、例外処理も多い。
「決められたとおり」というけれどもその取り決め自体の制定改廃手続きもとうぜんながら事務の仕事だ。

これらは、言い換えれば、システムを設計しプログラムを組みコードを保守管理しながら実行者にもなる、ということである。
私は一時期システムエンジニアをしていたことがあるのだが、事務だって仕組み的にやっていることはだいたい同じだ。
必要な知識がDBやjavaか、各種制度かの違いであり、表現方法がプログラムか書類かの違いであり、実行主体がアプリケーションか人かの違いである。
システムエンジニアに知識・スキルが必要というのはなんとなく同意できるだろうと思うが、それと同じように、事務だって知識・スキルが必要なんである。

大学の場合は、必要な知識は部署によって異なり、いろいろあるがぱっと思いつくので言えば、例えば研究契約や研究助成金の知識だったり、税法や会計に関する知識だったり、システムの使い方やネットワークの知識だったり、大学設置基準や資格要件の知識だったり、入管法や労働法や服務規程についての知識だったり、劇物・危険物管理の知識だったり、研究倫理や知財についての知識だったり、大学組織の仕組みの知識だったり、教員ごとの研究分野やくせ、性格の知識だったりする。
それらを覚えたうえで制度をつくり処理方法を決め人に意図する行動をさせ自分も回す。

制度を考えて作って合意をとって共有するのもまぁ大変ではあるのだが、日々苦労するのが制度運用の部分であり、コンピュータリテラシーや制度の理解度がバラバラな人たちに同じ水準で書類を整えさせることである。これはどの場面においてもかなりの確率で事務による補完が必要になる。
事務手続きは残念ながら万人にとってバリアフリーではなく、人によって理解度・進捗度・完成度にたいへん差が出る(これは忙しすぎるせいもある)。ワードもエクセルも全く共通言語になりえない。このくらいは全員100%間違いなくできるだろう、と思ったとしても、周知してみるとそう思うこと自体が間違いだったとすぐに気づくだろう。
そもそも教員にとって事務処理はやりたくないことである。優先順位はとうぜんに最下位であるし、煩わされたくないものだから、事務局からのメールや電話を一切無視する人も中にはいる。
そんな中で、色々説明をして行動を起こさせ、足りない何かを出してもらったり、記載の不備を修正してもらい、どうにかこうにか締切までに書類を整える。
この補完作業が仕事の大部分を占める職員も少なくない。

そうして行う手続きや整えさせる書類ってなんなのかというと、学生や共同研究者や取引先や設置者や国・地方自治体、寄附者・納税者や大学で働く人々との約束ごとであり、誰かのやりたいことを叶えながらそういった他者との約束を確実に守ることが事務処理の目的のすべてである。

たとえ手続きする者が面倒でやりたくなくて意味がわからないと思っていたとしても、大学として、学生や共同研究者や取引先や設置者や国・地方自治体、寄附者・納税者や大学で働く人等に約束していることは、きちんと何が何でも達成されなければならない。
そこを死守するために、事務職は手を尽くすのである。

こうやって今日もなんとかぎりぎり大学とその周りの秩序が保たれている。

私はそう思っている。

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