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連載  私が見た戦前の中国・台湾⑳  「特攻隊だけはいかん!」

最近、特攻についての議論が少し出ているようなので、
有志舎のPR誌『CROSS ROADS』20号に掲載した「連載 私が見た戦前の中国・台湾⑳」を転載します。
この連載は、父・永滝勇(2022年死去)が生前に書いていた手記を基に連載しているものです。
父は小学生だった戦時中、祖父の職場があった日本の植民地・台湾に住んでいました。この手記はその時のものです。l

連載 私が見た戦前の中国・台湾⑳
「特攻隊だけはいかん!」

                     筆:永滝 勇 編:永滝 稔
それからしばらくして、父(永滝勇の父・安太郎、稔の祖父)が海軍武官府からの招聘で上海に出向することになり、我が家で父の職場(中華航空という国策会社)の仲間が集まって壮行会が行われた。
父は昔から酒は下戸のほうなのだが、部下の若い二人が底なしのようで、父は母に色々と注文をつけて酒・肴をたくさん用意し、座は盛り上がっていた。ひと通り職場の話が済むと父が私を呼んで、これから詩吟をやるからお前が剣舞を踊れ!というのだ。そういえば、私は小さい頃から父が詩吟を唸るたびに勝手に物差しを腰に差し、手拭いで鉢巻をして詩吟に合わせて踊っていたことがあり、見様見真似で何となく形になっていたのだった。仕方なく有り合わせの着物と帯に物差しを差して部屋の片隅に座る。いつもは「川中島」をやるのだが、なぜか父は「会津白虎隊」の詩を始めた。
一応それなりに詩吟に合わせた舞を踊り、最後の「十有九人屠腹して倒る~」のくだりで割腹して倒れる仕草をして終わると、シーンとしてしまったのだった。見ると父と客二人は目に一杯涙を浮かべタオルで顔を拭っているではないか。

やがて二人の客は大きな拍手をし、「いやあ、よかった感動したよ! 勇くん、立派なもんだな」と大柄で四角い顔をした千葉さんという人が私の傍に来ると「勇くん、君は将来何になる積もりだね」とドラ声できいてきた。
私は映画で見た 「加藤隼戦闘隊」 に憧れていたので「戦闘機に乗って特攻隊に入るんだ!」というと、千葉さんは急に私の肩をグイッとつかみ、「勇くん!それはやめろ!そんな事をしたら君のご両親はどんなに悲しい思いをするか知れないんだぞ!いいか!間違っても特攻隊になんか入っちゃいかん!いかんぞーっ!」と大きなタオルで流れる涙を拭きながら怒鳴るように言ったのだった。
私は「お国のため、天皇陛下のために死のうとする事がどうしていけないのかなあ」と思ったのだが、それを見ている父ともう一人の客も、そして奥で支度をしていた母も嗚咽しているのだ。

やがて二人の客は父母に送られて帰っていったが、玄関先で父が 「千葉さん、決して死に急ぎをするなよ!」 と声をかけると千葉さんは直立不動の姿勢で、「信義にもとるなかりしか! 礼節に欠くるなかりしかッ!」と大声で叫び、「千葉少尉、行きます!」 というなり敬礼をし、回れ右をして後を振り向きもせず角を曲がって去っていた。千葉さんが軍人だったということはその時知ったのだった。
翌日、父も朝早くボストンバッグ一つを持ち、上海に向けて家を出て行った。母にも私にも声一つかけずに、である。きっと涙を見せたくなかったのだろう。
そして、千葉少尉が飛行機で敵艦に突っ込んで亡くなったと母から聞いて絶句したのは、それからしばらくたってからだった。

※編者(永滝稔)注:父(永滝勇)は生前、この話をいつも涙を流しながら話し、「千葉さんのためにも、日本はもう二度と戦争をしてはいけないんだ」と言って、戦死者を「英霊」などといって祭り上げる政治家たちに「何も知らないくせに」と怒っていました。